うと、そんな考え方は少しもしてやしないんだ。僕はただ感謝の念だけしか持ってやしなかった。ただ一つ、変な気持が動いてたことは事実だが……。」
「変な気持って、差支なかったら話して見給いな。」
 河野は可なりの間左手で※[#「臣+頁」、第4水準2−92−25]をひねって考えていたが、私の方をじっと見ながら云い出した。
「これは恐らく僕の僻みかも知れないが……いや屹度、恩義を受けた者の忘恩な僻みだろう。吉岡君は、もうあれから四年にもなるが、金のことなんか※[#「口+愛」、第3水準1−15−23]気《おくび》にも出さないで、逢えばいつでも僕の芸術のことばかり尋ねてくれた。所が不思議にも、それが僕には非常につらかったのだ。金を出してくれた時、吉岡君は僕にこう云った。金のことは気にかけないがいい、返そうと返すまいと、そんなことは君の都合でどうだっていい、ただ立派な作品を生んでくれ給え、そして、気に入ったのが出来たら僕に一枚くれ給えと。その時僕は本当に感激したものだ。するとだんだん時がたつにつれて、そういう芸術上の負担が苦痛になりだしてきた。吉岡君が僕の芸術心を鼓舞してくれる度毎に、僕は実際肉体的に鞭打たれるような思いをしたものだ。八百円の金を催促してくれるなら、僕は平気でしゃあしゃあとしていたに違いない。そして金を返そうなどとは思わなかったに違いない。然し吉岡君は金銭の負担を僕に荷わしたのではなくて、僕が生命としている芸術の上の負担を荷わしたのだ。僕はそれを間違っていると云うんじゃない。不満に思ってるのでもない。いや却って、本当の友人として感謝してるくらいなんだ。それなのに、僕はそのためにどんなに苦しい思いをしたか分らないのだ。僕は今その気持をはっきり説明することは出来ないが、君にも同感は出来るだろう。」
 私は黙然としてただ首肯いてみせた。
「僕はその苦しさから遁れたいために、妻と一緒になって八百円を調達することにした。勿論金を返したって、恩義を返してしまうことにはならないから、芸術上の負担が軽くなるとは思ってやしなかった。が何かしら、せめて金でも返したらという気持だったのだ。そして吉岡君があんなにひどいとは思わなかったものだから、八百円出来るとすぐに持っていったのだが、僕としては、もっと単純に受け容れて貰いたかった。吉岡君の気持を聞いたり自分の気持を顧みたりすると、僕は変に
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