う気持でされたんでは、僕だって面白くないじゃないか。僕は河野君からそれほど敵愾心を持たれることをした覚えはない。考えて見ると、昔河野君が今の細君と恋し合って同棲しようとした時、断然反対したことはある。また河野君の作品について、不満な点を指摘したことはある。然し河野君が僕の言葉なんか無視して、細君と同棲して落付いた生活にはいったり、自分の信ずる手法で製作を続けていったりするのを見て、僕は却って心嬉しく思ったものだ。それを河野君はよく知っててくれる筈だ。僕はなまじっか財産を持ったり、また肺病にとっつかれたりして、何一つまとまった仕事を為し得ないで、空疎な生活を送っているので、河野君が一本調子の途をぐんぐん歩いてることを、友人として非常に力強く思ったものだ。よかったら僕の財産なんか全部使ってくれても構わない、とそんな気がしたことさえある。それを僕は美事に裏切られてしまったのだ。」
私は彼の調子に威圧された形で、そして彼の顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]の震えに気を取られながら、弱々しく反対してみた。
「然し河野君は、何もそんな……裏切るとか、君の死を予想してとか、そんな気で金を返しに来たのじゃなくて、ただ単純な気持からだったろうと思うよ。」
「それじゃあなぜ、僕にじかに話さないで、帰りぎわに敏子へそっと渡していったのだ。僕の病気がひどいからというのか。……病気がひどいというのは、何時死ぬか分らないという意味じゃないか。河野君ばかりじゃない。敏子だって……君だって、そう思ってることが僕にはよく分る。医者も看護婦もそうなんだ。皆で陰でこそこそやりながら、僕に死の宣告を与えようとしている。然し僕はあくまでそれに反抗してみせるつもりだ。たとい長くは生きられないとしても、僕は死ぬという自覚で死んでゆきたくはない。死ぬ間際まで生きるという意志でいたいのだ。死を自覚して安らかに大往生をしたなどという人の話を、僕は全然信じない。この数日間の経験から信じない。皆が寄ってたかって、君はもう二三日しか生きられないと云っても、僕はあくまでも生きるという意志を持ち続けてみせる。僕は初め、河野君だけはそういう僕の味方であると思っていた。然し今では……。」
云いかけて彼は喉をつまらしてしまった。私は先程から、私の言葉が一寸挾まった間の休息の後、彼の声の調子がすっかり変ったのに気付いていた
前へ
次へ
全21ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング