が、また思想が、揺ぎなきものとして確立される。
 思想や夢や希望など、それらのものは初めからあったのではないかと、反問することを止めよう。勿論それらは初めからあった。如何なる作家にも如何なる作品にも、それらは多少ともある。然しそれらが揺ぎなきものとして確立されるのは、作品の全重量を荷い通された時のことである。荷い通されずに作品が中途で投げ出される時、または作家が中途で腰くだける時、思想やそれらはなまのままとして残る。コンクリートの中に納まって堂宇を支える鉄筋とはならずに、草の上に曝された錆鉄となる恐れがある。
 然らば作家は常に、それぞれの作品の全重量を荷い通さねばならないのであろうか。無論そうである。そうではあるが、最後にほっとつく吐息が高らかな歓喜の歌となるような、少くとも単に歌となるような、そういう道程はないものであろうか。思想や夢や希望からじかに出発する道程はないものであろうか。この間の消息について、或る種の童話や神話や経典が何等かの示唆を与えてくれないであろうか。
 そういうことこそ、多くの作家の夢想であり、殊に建設的な文学を意図する作家の楽しい夢想であろう。――ただ、この夢想の実現には多大の困難が克服されなければならない。文学創作上の事柄であって、様式の変革が条件として付随するからである。それはそれとして、この場合の一道の光明は、思想や夢や希望などと、何等の矛盾や等差なしに列記出来ることにある。知性が持つところの感性と、感性が持つところの知性と、両者が渾然と一致するところの芸術的な境地がある。更に云えば、知性と感性とが融合するところの焦点がある。この焦点から観れば、恩恵も夢も希望も別物ではない。それらを単に作家的思想と呼んでもよい。そういう「思想」を作家は常に思索する。そういう「思想」のなかに作家は自己の魂を置くものである。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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