うか。
酒をあまり飲まないお留さんは、自分だけさっさと御飯をすました。いつしか雨が降りだして、軒端にその音がしている。遠い太鼓の音もやんで、夜の深さが感ぜられる。
私は少し図に乗りすぎたような思いが、ふっと、酔った頭にも湧いた。茶の間に上りこんで、無駄話をしたことは何度かあったが、酒食の席に長座したことは初めてだ。
温い室の空気と炬燵と甘えきった気持ちを、無理に打ち切って席を立とうとした。
「まあ、ずいぶん現金ね。酒はまだあってよ。」
戸棚から、新たな一升壜が持ち出される。
「お祭りだから、どうせ、飲み明しよ。中休みにハナでもしましょうか。」
ハナなら、お留さんがたいへん好きで、また上手だ。政代はあまりうまくない。私はいちばん下手だ。然しそんなことはどうでもよい。私は雨の小野道風が好きで、そればかり狙ってるうちに、だんだん負けがこんでくる。お留さんがわざと、私に小野道風を取らせてくれることもある。だが政代は、その札をいつも私と争い、さらっていくと他愛なく喜ぶ。――二時間ほど遊ぶと、もう倦きて、また酒がほしくなる。
お留さんは先に寝てしまった。
風はやんだようだが、雨は強くなったり弱くなったりしている。その変化が、気持ちのせいばかりでもなさそうで、耳にはっきり聞き取れるのだ。
「へんね、東京に帰るのが、何だか怖いような気がしたりして……。」
政代は私の顔をじっと見た。
それはまだずっと先のことだと、私は思っていた。――東京の或る家のお上さんが、身体がわるくなったから、政代に来てくれないか、お留さんも一緒にと、それだけの話なのだ。裏口営業の料亭か何かであろう。八杉の口利きもあるらしかった。
「早く来てくれというんですか。」
「いつでもいいってことになってるんだけど。」
彼女は銚子に酒を満たして、銅壺につきこんだ。
「河野さんは、不賛成だったわね。わたしも不賛成よ。」
そうなると、なんだか訳が分らないのだ。――彼女が東京に帰ったがよいかどうか、私には猶更分らない。
「河野さんは、いつか、東京に出るんでしょう。」
「そんなことは、分りませんよ。ここだって東京だって、まあ同じようなものだし……。」
「そう同じね。」
彼女は煙草をふかしかけたが、ふとそれをやめて、眼に深々と陰を宿した。表面は薄いかげりで、底にゆくほど濃くなり、そこにはもう外界の何も映らず、ただ内にあるものだけが籠ってるのだ。それが訴えるように、私の方へにじり寄ってくる。と同時に、彼女の顔の小鼻の両脇にある溝が、片方だけ深く刻まれてゆく。泣いちゃいや、と私は心の中で叫び、つぎには、東京に行っちゃいや、なに行っちまえ、と一緒に呟いた。――そのとき、私自身、不覚にも眼に涙をためていたのだ。すっかり酔っていたのであろうか。
彼女の手が私の手をしかと捉えた。私はハンカチで眼の涙を拭き、杯に酒を受け、そして微笑んだ。
「ばかね、泣いたりして。」
「あなただって泣いたよ。」
「わたし、泣かないわよ。ただ酔っただけ。」
「僕も酔っただけだ。」
炬燵布団に顔を伏せていると、頭の中がふらふらして、それからじいんと沈んでゆく。その淵から飛びあがるようにして、顔を挙げ、微笑んで、また飲んだ……。
とろとろと眠っただけの気持ちで、私は眼を開いた。まるで見馴れぬ室なので、はっきり眼がさめた。電気雪洞の二ワットの淡い灯が、ぼんやりともっている。神代杉の天井、欄間や床の間、掛軸に活花……。枕頭に水差と煙草盆があったので、水を飲み、煙草を一吸いした。それから着物を着代えた。それまでははっきりしてるのだが、それから先は昨夜のことと混乱してしまうのである。
つぎはぎだらけの粗末極まる私の襯衣がきちんとたたまれて乱籠にはいっているのに、私はたまらなく惨めな気持ちがした。彼女に連れて来られて、着物をぬがせられるのにちょっと逆らったようだが、ぬいだ襯衣類を彼女が丁寧にたたもうとするのを、私は引ったくって投げやったことを、はっきり覚えている。それでも彼女は、一々たたんでしまったのだ。もし私が立派な襯衣をつけていたら、その好意を安んじて受けたろう。――そのあと、彼女は長襦袢姿で、私のそばにすべりこんできた。
いつのまに、どこへ、彼女は行ったのだろう。もう枕も、何の跡かたも、そこにはなかった。然し、あれは夢ではなかったのだ。
二枚重ねのふっくらした布団の中で、そんなのに久しく馴れない私は体をもてあつかいかねた。ばかりでなく、如何に残酷に弄ばれてしまったことか。彼女はしばしば、くくくくと忍び笑いをしたようだった。
彼女は或る坊さんの話を、私に囁ききかせた。――その坊さんは、花柳地の料理屋などによく酒を飲みに来た。彼女もひいきになった。この節はお坊さんも開けなすったのね、と言うと、彼は
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