児風の顔立が変に骨立って、唇に黒い皺が寄っていた。それが、日の光のさしてる窓の真中にぽかっと浮出していた。
「何をそんなに見てるの。」
 彼女はそう云って弱々しい微笑を洩らした。私は飛んで行きたいのをじっと我慢した。
 彼女が醜くなり陰気になるに従って、私は反対にまた彼女に惹きつけられそうだった。初め彼女に惹きつけられたのと逆の気持だった。それを私はぼんやり自分でも感じて、どうしていいか分らなかった。
 そのうちに、不意に、全く不意に、最後の事件が持ち上った。
 風のない少し暖かな、三月初めの夜中だった。曇っていたのか晴れていたのか、ただ星が二つ三つだけ光ってたことを私は覚えている。
 何か大きな音がしたようだった。それを夢現に聞き流してまたうとうとした頃、私はいきなり母から呼び起された。喫驚して起き上ると、母は何とも云わないで裏の方へ出ていった。姉も続いて出て行った。私は一寸待ってから、ふいに駆け出した。
 裏の狭い空地の中、お清の室の窓の近くに、低い椿の木の横に、寝間着のまま母と姉とお清とが立っていた。お清は裸の蝋燭を手に持っていた。そのほんのりと赤い光の流れてる地面に、起き上ろうと※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]いてるような恰好をしてつっ伏しに男が一人横たわっていた。
 それが父だった。私が駆けつけた時には、お新がわっと父の上に泣き伏していた。
 一発を足先に、一発を脇腹に、父は二発のピストルの弾丸を受けて、血に染っていた。
 父はもう意識を回復しなかった。医者が来た時は死んでいた。

 事件は当時、「戸崎町の殺人」として新聞に詳しく報道された。
 犯人はすぐにつかまった。頭字入りのソフト帽が現場に残っていたのと、お清やお新や母の証言があった。そして犯人の陳述は有利だった。お清を殺すつもりでつけ廻していたが、あの晩ふいに後ろから飛びつかれたので、逃げるためにピストルを放って、一つは足を狙い一つは腕を狙ったのである……。それに反対の立証は成されなかった。それでも後に、彼は七年の刑に処せられた。
 私は当時新聞紙にのってる彼の写真を見て驚いた。目鼻立の整ったやさしそうな青年で、人殺しをしそうな顔ではなかった。
 それから父は、盗賊を捕えようとして殺された勇敢な老人と報道された。砲兵工廠に長年勤続した模範職工とも書かれていた。お清と父との間柄は何一つ発《あば》かれなかった。それを知ってるのは、当事者以外では恐らく私一人だけだったろう。
 父の葬式は悲しかった。警察署や裁判所などとの交渉の間に挾って、慌しく取行われた。お花も啓次も久しぶりで家にやって来た。
 私は寺田さんが来てくれやしないかと思って喜んだり心配したりした。寺田さんに逢うのはその場合私の最も嬉しいことだった。然しもしやって来たら警官に捕《つかま》りはすまいかと心配した。
 寺田さんはやって来なかった。何の便りもなかった。
 私は寺田さんから貰った大きな虫眼鏡をなつかしく取出した。始終持って歩いて、いろんなものを眺めては一人心を慰めた。それをお花が不思議そうに見とがめた。
「それ、珍らしいものねえ。」
「うむ。」と私は昂然として答えた。「これで太陽を見ると、汚点《しみ》が見えるんだ。」
 太陽という言葉を口にするのが私は得意だった。
「ほんとうに見えるの。」
「見えやしないや。ぎらぎらして……。」
 姉は笑った。そして、青か黒かの薄い色をレンズに塗れば眩しくない[#「眩しくない」は底本では「呟しくない」]、と教えてくれた。
「日の照っている海を、虫眼鏡で見ると、そりゃあ綺麗だわよ。」
 なよなよした身体付をして、舌ったるい口を利いて、家に来ても一日火鉢にばかりかじりついてるその姉を、私は何だか好きだった。母のような気持さえした。
 その姉に教えられたことが私は嬉しかった。そして、どうにか太陽の黒点らしいものを見ることが出来た。
 然し、それから間もなく、私の悲惨な放浪生活が初ったのである。



底本:「豊島与志雄著作集 第二巻(小説2[#「2」はローマ数字、1−13−22])」未来社
   1965(昭和40)年12月15日第1刷発行
初出:「新潮」
   1926(大正15)年3月
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年10月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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