続けてるらしかった。
「俺はな、十二の時から世の中に乗り出したものだぜ。十二の時から……鉄屑を拾ってな、大した仕事じゃねえさ。だが、素晴らしく大きな釜だったぜ。十石も二十石もはいろうというやつでね。その中に鉄が真赤に煮えくり返ってるんだ。そんな釜を持ってる者あ、ど豪い人だろうと、俺は子供の時分そう思ったね。そして俺はどうかと云やあ、工場の隅から隅まで鉄屑を拾って歩く役目さ。立派な職工達が夜中まで働えてた。造兵なんかよりもっときちっと整ってた。今から見りゃあ、ちっぽけな工場だが……。その工場で俺は、鉄屑を拾ってきたんだ。そして……なあに考えてみりゃあ、一生鉄屑を拾ったようなもんだ。他人のためにな……。だが、こいつが肝心だぜ。こいつ一つだ。鉄屑でも拾ってるうちゃあ、まだ世の中に用があったんだ。鉄屑も拾えなくなっちゃあ、もうおしまいだからな。だが、今時の若え者あ、豪いことを考えてるぜ。そいつが俺にはよく分らねえんだが……。何しろ、もう年が年だからね。啓太郎でもいりゃあ、俺も気が強えんだが、俺一人じゃあ、気が弱くなるのも無理はねえさ。一番大事なこたあ、年が若くって、……豪い者になることだ。」
父はもう私に話しかけてるのでもなかった。杯の酒を見い見い、時々それをぐっとあおっては、ぐずぐず饒舌り続けていた。母はそんなことには頓着なく、小皿の物をつまんだり、自分でもお酒を飲んだりしていた。
おかしな状態だった。がなおおかしなことには、父はいつのまにか仏壇の方へにじり寄って、新らしい位牌と睨めっこをしていた。
「いつまでつけっ放しにしてるんだ。火事でも起したらどうする。」
父はさも忌々しそうにそう云って、よろよろ立ち上りながら、燃えつきようとしてる蝋燭の火を吹き消したが、その後にまた新らしい蝋燭をともした。
「明るくなったろう、ははは。」
そこに屈みこんで、銚子と杯とを両手に取って、仏壇と差向いに酒を飲み初めた。そしていつしか、南無阿弥陀仏を口の中で唱えだして、身体をふらふら揺っていたが、そのまま横のめりに寝入ってしまった。
「仕様がないね。」
母は独語ちながら、父の上に蒲団をかけてやった。
父のところへは、時々仲間の職工達が一人二人ずつやって来て、十分か二十分くらいしては帰っていった。そういう人達に父は余り取り合わないらしかった。母が応対してることさえあった。何の話だか私には分らなかったが、後になって考えてみると、一部の職工達の間に何等かの計画がめぐらされてたものらしい。
父は毎日、朝から酒を飲んでいた。酒は台所の縁の下にしまってある濁酒だった。時には一杯つまった一升壌が三四本も並んでることがあった。その上奥の方には、大きな甕が据えてあった。
「あの甕のことを人に云っちゃいけないよ。人に聞かれたら、酒はよそから買ってくるんだと云うんだよ。いいかい、忘れると承知しないよ。」
母は私にそう云って聞かしていた。そしてよく知ってる私にまで甕を見せまいとしていた。その理由が私にはどうしても分らなかった。なぜ自分で酒を拵えてはいけないんだろう。酒を拵えるとなぜ罰金を取られたり監獄に入れられたりするんだろう……。
私は或る時そのことを寺田さんに尋ねてみた。すると寺田さんはこう答えた。
「そうだ、お前の云うことが本当だ。だが、そんなことを人に云っちゃいけない。……今に分るよ。」
私はばかばかしい気がした。人に聞かれたらいつでも云ってやるつもりでいた。――幸なことには、一度も人に聞かれたことがなかった。
父は朝から酒を飲むばかりでなく、酒の肴に目差や※[#「魚+昜」、501−上−19]などをしゃぶっていた。それまではいつも味噌汁と漬物ばかりだったのである。そして晩の惣菜もずっとよくなっていた。職に離れた父だけがそうなので、私には不思議に思えた。姉までが時々、カフェーから何やかや父に持って来ることがあった。
然し父は皆から食物の上で大事にされながら、他の事では殆んど相手にされなくなっていった。正月の買物のことだの、炭を買入れることだの、竈の下を瓦斯にするか薪にするかということだの、姉がカフェーを住み換えるかどうかということだの、秋から持ちこされていた家賃値上の問題だの、凡てが母と姉との間で相談され解決されてるようだった。
或る時、植物園の前のところに、駄菓子屋が一軒売物に出ていた。母と姉とは二日も三日もそれについて話をし合って、わざわざ店を見にまでいった。
「そりゃあいいぜ。」と父は云った。「そうなりゃあ、俺が車を引っ張って売りに歩いてもいい。」
「まだきめてやしないんだよ。」
母はそう答えたきりで、姉の方へ話を向けてしまった。
「だが、俺もこうぶらぶらしていたんじゃあやりきれねえからな。」
そして父は、時々出歩いては職を探し廻っていた。そのことについてだけは、母も真面目に相談にのって、あれこれと就職口を頼みこむ方便を考えてやった。然しいつまでも父の職は見付からなかった。初め砲兵工廠を止すとすぐに王子分廠の方へ出る手筈だったらしいが、それももう駄目ときまっていた。
「お前さんがどじだからよ。」と母は腹を立てたような蔑んだような口の利き方をした。「だけど、長年苦労をしてきたんだから、暫く遊んでおいでよ。わたし達はお前さんを当にはしていないんだからね。」
「そりゃあ、どうせ俺はもう、世の中に用のねえ人間なんだが……。」
世の中に用のないということは、殆んど父の口癖となっていた。そしてそれはまた、父が口を噤む最後の捨台辞でもあった。その極り文句を吐き出してしまうと、いつもむっつり黙り込んでしまった。そしてひどく陰欝な顔付になった。それが、髯を剃ってる時には痛々しく見え、髯が伸びてる時には兇悪に見えた。
髯が剃られてるのと伸びてるのとで、人の顔の感じが甚しく異るのを、私は最初に父に於て見てきた。髯のない父の顔は如何にも善良そうで、世の中の苦労を嘗めつくしてきて弱りはててる、云わば温良な落伍者の感じだった。けれど、不精髯がもじゃもじゃ生えてる父の顔は、何だか世の中に始終不平を懐いていて、何かのきっかけがあれば、どんな悪事をも平気でやってのけそうな感じだった。
母もそれに気付いてると見えて、父が就職口を探しに出歩く時なんか、やかましく云って髯を剃らせた。が平素、父は髯を剃ることをひどく億劫がっていた。
或る時、父は一包みの古釘をどこからか持って帰った。そして火鉢の横に、厚い鉄板と金槌とを持出して、曲りくねった古釘を丁寧に伸ばし初めた。
「そんなことをして、何にするんだい。」
母は頭ごなしにやっつけていたが、父はただにやにや笑ってばかりいた。
その翌々日の夕方、山本屋の小僧に住み込んでる中の兄の啓次が、自転車で慌しくやって来た。真赤になって怒っていた。父が店にやって来て、古釘を貰っていった、自分は恥かしくて顔が上げられなかった、あんなことをして貰っては、朋輩に顔向も出来ない……とそう云うのだった。そして云うだけのことをぽんぽん云って、そのままぷいと帰っていった。
母はびっくりしたような顔付をしていた。兄が帰ってしまうと、暫くたってから、じりじり父の方へつめ寄った。
「お前さんにも呆れて物が云えやしない。何てことをするんだい。お前さんがそんな了見だから、お花だって啓次だって、家に寄りつきゃしないんだ。自分の子供の顔に泥を塗るようなことを、よくものめのめ云って行けたものだね。そんなことをするよりは、立ん坊でもした方が、どれほど立派だか知れやしない。お前さんは乞食根性だ。」
それでも、何と云われても、父は弁解をしなかった。
「ほう、そんなにいけねえことかなあ。」
そして陰欝に顔を渋めてるきりだった。
それでも、十日ばかりたつと、父は晴れやかな顔をして、また古釘の包みを持って帰って来た。
「さすがは大店《おおだな》の旦那だ、お前達とは了見が違うぜ。俺が行って話をすると、そいつあ啓次の方がいけねえって、さんざん小言をくってた。そして、見ねえ、この通り向うから頼んで、古釘を持たしてくれた。どんな物だって、世の中に廃り物はねえんだ。その心得が肝心なんだ。山本屋じゃあ、これから俺の手におえねえほど古釘を取っておくってよ。荷物の出入がはげしいから、古釘はいくらも出る、新らしい釘はいくらも要る、そこで俺の仕事が役立つってわけだ。金なんか貰わねえ。俺はただ働えてやるんだ。」
父はすっかり喜んでいた。金槌の音が煩いと母から云われると、寒い中を裏口に出てカンカンやっていた。
そういう父の生活は、ひどく退屈なものだったに違いない。そこから不幸が起ってきたのだ。――然し私は余り先まで筆を運びすぎた。元に戻って事件を述べてゆこう。
父が砲兵工廠を罷めてから間もなく、私達を最も驚かしたことは、寺田さんの失踪だった。
寺田さんは父と同じ砲兵工廠の職工で、レンズ磨きの方に働いていた。四十年配の、背の高い痩せた独身者で、いつも蒼白い顔をしていた。※[#「臣+頁」、第4水準2−92−25]にしょんぼり短い髯を生やしてるのと、右の手が左の手より長いように思われる恰好とで、特殊な印象を与えるのだった。
彼は一年余り前、砲兵工廠へはいると同時に、隣家の離室へ越してきた。その離室が、隣家というよりも寧ろ私の家と隣家との界にあって、大きな窓が私の家のすぐ裏口に面していたので、間もなく非常に懇意になった。離室から一寸木戸を押し開けると、私の家の裏口に出られた。彼は度々てって来て、夜遅くまで話しこんでゆくことがあった。と云っても至極無口の性質で、自分の経歴などは少しも話したがらなかった。他人の経歴も余り聞きたがらなかった。そして多くは私を相手に、面白い歴史の話や地理の話をして聞かした。私はまだ学校で歴史も地理も教わっていなかったので、彼を学校の先生よりも豪いと思った。そして殊に、彼が日本中のどこでもよく知ってるのに喫驚した。彼はまた、星のことをも話して聞かした。それから習字も直してくれた。
「わたしは字は下手なんだが、お前よりは上手なつもりだよ。何事でも、自分より少しでも上手な人には教わっとくと、いつか為めになるものだ。どれ、わたしが直してやろう。」
学校の清書を見せると彼はそう云って、二重まるのついてる字でも何でも構わずに、どしどし直していった。――彼の字は何だかひどくまるっこい感じのするものだったことを、私は未だに覚えている。
父が砲兵工廠を止す前後、彼はひどく忙しそうで、毎晩出歩いていたらしい。私は彼の姿がちっとも見えないので、よく裏口からその室の方を覗いて見た。けれど窓に光のさしてることは一度もなかった。
彼が職工の運動に関係してることは、父の話でほぼ分った。ただそれがどんなことだかは、当時の私には全く分らなかった。
ところが、大晦日の前日の夜、彼は久しぶりで私の家にやって来た。私は嬉しかった。職工の運動云々のことにも拘らず、父母も喜んで彼を迎えた。そして彼は父と酒を飲み初めた。
その晩彼がどんなことを云ったか、私は殆んど覚えていない。思い出すことといってはただ、酒を飲むに随って、彼の額が益々蒼白く澄んでゆくような感じだったのと、帰りしなに、母へ眼病の妙薬とかいう薬草を置いていったのと、虫眼鏡で私と暫く遊んでくれたのだけである。――薬草というのは、四五寸ばかりの小さな乾草で、その汁を水にしみ出さして眼につけると、どんな眼病にも利くというのだった。が、母は其後一度もそれを使わなかった。薬草はどこかの隅に永久に置き忘られてしまったらしい。
彼は二三時間私の家で過ごして、いつもの通り裏口から静かに帰っていった。然し彼はその晩、私が殆んど何にも覚えていないように、特別に変ったことは何一つ為しも云いもしなかったに違いない。もし、何か特別なことがあったら、私が見落す筈はなかった。なぜなら、私と彼と虫眼鏡でいろんな物を眺めながら、凡そ印刷物のうちでも、紙幣が一番よく印刷してあるというようなことを、彼から聞かされてるうちに、ふと、これきり彼はど
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