《あば》かれなかった。それを知ってるのは、当事者以外では恐らく私一人だけだったろう。
父の葬式は悲しかった。警察署や裁判所などとの交渉の間に挾って、慌しく取行われた。お花も啓次も久しぶりで家にやって来た。
私は寺田さんが来てくれやしないかと思って喜んだり心配したりした。寺田さんに逢うのはその場合私の最も嬉しいことだった。然しもしやって来たら警官に捕《つかま》りはすまいかと心配した。
寺田さんはやって来なかった。何の便りもなかった。
私は寺田さんから貰った大きな虫眼鏡をなつかしく取出した。始終持って歩いて、いろんなものを眺めては一人心を慰めた。それをお花が不思議そうに見とがめた。
「それ、珍らしいものねえ。」
「うむ。」と私は昂然として答えた。「これで太陽を見ると、汚点《しみ》が見えるんだ。」
太陽という言葉を口にするのが私は得意だった。
「ほんとうに見えるの。」
「見えやしないや。ぎらぎらして……。」
姉は笑った。そして、青か黒かの薄い色をレンズに塗れば眩しくない[#「眩しくない」は底本では「呟しくない」]、と教えてくれた。
「日の照っている海を、虫眼鏡で見ると、そりゃあ綺麗だわよ。」
なよなよした身体付をして、舌ったるい口を利いて、家に来ても一日火鉢にばかりかじりついてるその姉を、私は何だか好きだった。母のような気持さえした。
その姉に教えられたことが私は嬉しかった。そして、どうにか太陽の黒点らしいものを見ることが出来た。
然し、それから間もなく、私の悲惨な放浪生活が初ったのである。
底本:「豊島与志雄著作集 第二巻(小説2[#「2」はローマ数字、1−13−22])」未来社
1965(昭和40)年12月15日第1刷発行
初出:「新潮」
1926(大正15)年3月
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年10月27日作成
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