した。私は父が恐ろしくなった。
私は父を恐れたために父を観察するようになった。するとやがて、父の心の秘密な動きが分ってきた。
父は時々山本屋から古釘を持ってきては、それを鉄板と金槌とで真直になおしていた。その音を母が煩さがるので、よく裏口でやっていた。
そういう時の父や、また酒を飲んでる時の父は、職に離れた如何にも気の毒な老職工だった。また炬燵にしがみついてぼんやりしてる時の父は、世間に対する不平と諦めとの中にある廃残者だった。けれども、そういう父の中から、時々、電気にでも触れるような不気味なものが覗き出した。炬燵によりかかりながら、じっと空《くう》を見つめて、一心に幻を追ってるような眼付になることがあった。それが、お清に出逢うと更にひどかった。お清の身体のどこといわず眼の落ちたところを、しつっこく見つめていた。その視線がじっくりと、お清の身体に絡みついてゆくようなのに、私はぞっとした。
お清自身は平気らしかった。少くとも平気らしく振舞っていた。一寸挨拶をしておいて、澄ました顔でつっ立っていた。以前の通りよくやって来た。お三代に物を持ってきてくれたり、朝は大抵お新を誘いに来た。私に対しても元通りだった。
「あんた、すっかり云っちゃったのね。お金を返されて困ったわ。」
あれから最初に顔を合せた時に彼女はそう云った。
「またカフェーに遊びに来ないの。来ちゃいけないの。」
二度目にはそう云った。
「カフェーなんかつまんないでしょう。じゃあ、あたしが隙な時、あたしの室へいらっしゃい。」
三度目にはそう云った。
然し私は、彼女と話をするのが憚られた。どこからか父が恐い眼付で覗いてるような気がした。その上、カフェーへ行ってからは、彼女の魅力がひどく薄らいでしまった。
「何か怒ってるの。ああ、紙風船を買って来ないから……。」
そう云って彼女はやさしく笑ったこともあった。
だが、彼女はいつまでも私に紙風船を買ってくれなかった。私のことなんかは殆んど念頭に置いていなかったらしい。次第に素気なくなっていった。
その代り彼女は、父の恐ろしい眼付の前に大胆になっていった。
私は或る日曜日の朝、彼女と父との様子を裏口に見た。父は古釘を叩き止めて、金槌の工合をでも見るような風に、その頭と柄とを両手でぎりぎりやっていた。が眼は、前方へ下目がちに錐のように鋭く注がれていた
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