責め呵まれる形を崩してしまいました。そして最後に、塚の中へひっこむことが一瞬ためらわれる、そこのところを、別な気持ちから漸く調子を合せました。
楽屋で、お師匠さんは鋭い眼付きで菊千代をじっと眺めましたが、何にも言いはしませんでした。菊千代も、てれたように黙っていました。自分のうちに何かを見出したような心地でした。あすこのところまで高尾の霊になりきるには、すべてを捨て去らねばならなかったでしょう。それが出来なかったのは、やはり、梶さんに対する情愛のせいだったのでしょうか。それよりも寧ろ、梶さんの平安を祈る人間らしい意気、そういう風なものだったのでしょう。
それらのことすべて、敗戦によって押し潰されてしまいました。菊千代は空家になったばかりでなく、肥え太った人々の間でそれが公言されました。彼女は反撥して酒を飲みました。檜山啓三とはよい飲み相手でした。
気儘な勤めとはいえ、菊千代はさすがに、永井さんから呼ばれると、故人梶秀吉との義理合いもあって、顔を出さないわけにはゆきませんでした。永井さんははじめ、会社関係の人たちと一緒に来ましたが、次第に、一人で来ることが多くなり、菊千代の身辺の
前へ
次へ
全22ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング