ったわ。」
 いつまでも凝視し続けてる檜山の前に来て、菊千代は淋しそうに微笑みました。
「熱海のこと、大丈夫よ。ね、分って下さる。分ったら、もっと飲まして。」
 清香は怪訝な面持ちで、二人に酌をしてやりました。

 それから一ヶ月ほど後、菊千代は正式に芸妓の廃業をして、熱海へ引き移りました。家は梅葉姐さんの持ち物で、こじんまりした洒落た構えでした。万事のこと梅葉姐さんが世話してくれて、小女を一人使い、長唄と踊りの手ほどきに出稽古をすることになりました。

 それからまた一ヶ月ほどたった頃、ちょっと、檜山がやって来ました。互にまじまじと顔と顔を見合ったほど、なんだか二人とも変っていました。菊千代はいくらか肥って健康そうになり、そのくせどこか老いこんだ様子に見えました。檜山は少し痩せて、その代り精力的な様子に見えました。
 檜山は旅館へ案内されるものと思っていましたが、菊千代の住居の方へ連れてゆかれました。
「あたしの旦那ってことになってるのよ。宿屋なんかに行くより、その方が、人目にもつかないし、あたしの貫祿……おかしいわね、梅葉姐さんそう言ったわ……貫祿のためにいいんですって。」
 梅葉
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