いし、またいつどこへ引越してゆくか分らないし、云わば、偶然近くにかりの住居をしているに過ぎないのです。そんなわけで、隣近所の誼などというものは殆んどありません。それが便利でもあればまた淋しくもあります。そして、地方から出て来て長年東京に住んでる者は、そういう対人関係にいつしか染んでしまって、ひいては、故郷の人達に対してもさほど親しみを感ぜられなくなります。『田舎の人は小豆一升持って来て、十日も二十日も泊り込んでゆく、』という言葉があります。これは、近隣に対する感情が、東京と田舎とは全く違ってることを示すものです。田舎では、家敷も広いし家も大きいし、食物も沢山あるので、一寸知り合いでさえあれば、よそからやって来て幾日泊り込もうと、却って賑かだくらいに思われるのですが、東京になりますと、広い邸宅を構えたよほど裕福な家でない限りは、とてもそんなことは出来ません。普通の家では、家族だけで丁度一杯の住居だし、夜具布団も一二組の余分しかないし、食物も余分の蓄えなんか更になく、月の経済も大凡きまっているし、忙しい日々の仕事もあるし、同郷同村の誼くらいで――東京人の心には殆んど響かないそんな誼くらいで
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