で話し合ったり笑ったりして、初めて彼の事情をよく知りました。
彼は前年の春中学校を卒業して、将来の方針を立てるのに愚図ついてるうち、上の学校への入学期も過してしまった。そして兎も角農業をやってると、アメリカへ行ってる父と兄とから連名の手紙が、伯父宛に届いたのだった。内地で仕事をするにしてもまたはアメリカへ来るにしても、学問をしていなければ立身出世は出来ないと思うから、伍三郎には充分学問をさせてやってくれ、学費は入用なだけ送るから、とそういう文面だった。それで彼は、中学校の成績は余りよくなかったけれど、思い切って東京に出て勉強することになった。毎月五十円ずつ送って貰うことになっている。そして徴兵検査の関係やなんかもあるので、どこかの予備校にはいって勉強した上、来年の春商科大学の入学試験を受けるつもりでいる。――とまあ大体そういった話でした。
「どうせ来年入学試験を受けるのなら、今年も受けてみたらどうです。」と私は勧めてみました。
「初めから通る通らないは眼中におかないで、来年の下稽古のつもりで受けてみたら、通らなくっても残念じゃないし、通ったら一年もうかるわけじゃないですか。」
然し彼はそれに断然反対するのです。
「今年は止めます。一年近く遊んどりましたから、何もかも忘れてしまって、とても通りゃしません。そして今年落第すると、気が折れていけません。一遍にすっと通らないようじゃあ、つまりませんから。」
「なるほど。」
「先生は昔落第なさったことがありますか。」
「さあ、一度もその覚えはないが。」
「そうでしょう。私もそんな風にゆきたいんです。」
思いつめたようなその言葉の調子に、私は快い微笑を禁じ得ませんでした。所がいろいろ話してるうちに、困ったことが一つ出て来ました。
彼はさげて来たバスケットと、やがて駅から市内配達で届くという柳行李とに、衣服や書物や一通り身の廻りのものは揃ってるそうでしたが、夜具の用意は一枚もなかったのです。それから下宿についても何の当もなく、どうも初めから私の家へ落付くつもりだったらしいんです。
「先生の家じゃいけないんですか。」と平気でいるんです。
「だって君、この通り、家には二人も子供がいるし、君が落付いて勉強する室もないんですからね。」
「へえー、そうですか。」
別に驚いたようでもなくただ不思議がってるらしい彼の顔付を見て、私と妻
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