です。その朝やって来た医者は、静に寝ていればなおるだろうと云っていったそうです。でも余りお苦しそうだからお知らせしました、とお上さんは平気でいたそうです。妻は余りのことにあきれ返ったのです。そして一人で騒ぎ立てました。氷や氷嚢を買って来て貰ったり、知り合いの医学士に来て貰ったり、看護婦をたのんで酸素吸入をさしたり、出来るだけのことはしたそうですが、もう手後れだったのです。電話を聞いて私がやっていった時には、彼は胸に波打たして※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]き苦しんでいました。私はすぐに彼の伯父へ電報をうちました。然しそれも間に合わなくなって、彼はその夜中に冷くなってしまいました。
この前後のことは、彼の伯父と母親とから詳しく御聞き及びだと思いますから、茲に再びくり返すのを止しましょう。そして最後に、私の胸の中だけに秘めてることを御話し致しましょう。
母上
私がその翌朝早くやって行きました時、妻と看護婦とは死体の側にぼんやりしていました。私は死体の枕頭に端坐して、顔の白布を一寸取って、最後の別れを告げました。額や頬の皮膚が妙に蒼脹れしてるのに、眼だけが深く落ち凹んでいて、土色の唇がかさかさに皺寄っていました。私はまたそっと白布をかけました。
「昨夜夜中にふいに起き上って、国へ帰るんだと云って立上ろうとなさるんです。それを二人でようよう寝かしつけましたが、もう全く夢中でした。国へ帰りたいと譫言《うわごと》のように云い続けて、それからもう舌が廻らなくなって、二三時間後にいけなくなりました。」
夢をでもみてるような我を忘れた調子で、妻はそんなことを云いました。
西向きの古ぼけた六畳で、室の中が何だか薄暗く陰気でした。浅い床の間の書棚には、むずかしい哲学の書物と卑俗な小説の書物とが、変な対照をなしてぎっしり並んでいました。窓の障子を開くと、日の光を遮るほど鬱蒼と、大小種々の鉢植が並んでいます。更にその間から覗くと、眼の下に煉瓦塀があって、塀の外には低い古びた平屋根があり、その軒へ不細工につぎ足した新らしいトタン板が、露に濡れてきらきらと異様に光っています。
私はそこの窓際に腰掛けて、一寸言葉で云い現わせない気持に沈み込みました。平田伍三郎の儚い一生に対して何だか自分に責任があるような気がすると共に、誰もかもやさしくかき抱きたい気になったのです。そして
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