しました。
「大丈夫ですよ、先生。」と彼は手紙を巻き納めながら私の方を見ました。「無駄使いなんかちっともしてやしないんです。着物を拵えたり書物を買ったりしたんです。一々書き出しても宜しいんです。」
「然し余り国の人達に心配をかけるのはよくないね。……それに君は、その隣りの娘と始終落ち合ってるんだろう。」
「だってほんの少し一緒に歩くだけなんです。店がひけて彼女が帰る時に、銀座通りなんかを少し歩くだけなんです。物を食べにはいることなんか滅多にありません。大抵腹をぺこぺこにして戻って来るんです。大変やかましやの親父で、帰りが余り後れると、もう堕落しきったもののようにがみがみ云うんだそうです。だから私共は一緒に一寸散歩するだけにしています。こないだのように一緒に芝居を見にいったことなんか、まだ一度きりなんです。」
「そして一体君達の間の関係はどうなってるんだい。」
「関係って何にもありゃあしません。それだけのことなんです。」
「だって可笑しいじゃないか。若い男と女と外で始終逢っていて……。そんなら聞くが、君はその女と結婚する気があるのかね。」
「結婚なんか真平ですよ、あんな女と。向うでも嫌でしょう。」
「へえー、どうも僕にははっきり分らないが……。」
「だって先生の方が可笑しいじゃありませんか。一人で歩くより二人で歩いた方が面白いから、そうしてるだけなんです。」
彼の答えは如何にも平明で、何等疚しいところもなさそうです。それかといって私にはやはり腑に落ちないんです。そして変な問答をくり返してるうちに、家の者が帰ってきました。
「まあー、平田さん……。」
そう云って立ったまま眼を見張ってる妻の前に、彼は頭をかきながら極り悪そうにお辞儀をしました。次には子供達が左右から彼に寄っていって、彼を奪い取ってしまいました。
で話はそのままになって、彼は夕食の馳走になってゆくことになりました。
妻の心尽しで、餉台の上には酒の銚子まで並んでいました。そして一緒に酒を飲み食事をしながら、私と妻とはごく穏かな言葉で、そういう場合に誰でも普通に云いそうなことを――故郷の人達に心配さしてはいけないとか、余り物を買うものではないとか、若い女との交際は初め何でもないつもりでも危険が伴い易いとか、そんな風なことをぽつりぽつり云ったのです。それを彼はただにこにこして心安そうに聞いていました。それ
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