く腹がすく、」というようなことを云いました。すると平田は喫驚したように、「昼飯をあがらないのですか、」と聞くのです。「ええ、会社の高い弁当代なんかとても払えないから、二度しか飯は食わないんです。三度の飯も食えないとはこのことですよ。」所が、笑いながら云ったその言葉を、彼は本当にとったものと見えます。翌日[#「翌日」は底本では「習日」]彼は妻に向ってこう云ったそうです。「先生もお気の毒ですね。会社の弁当が高かったら、パンでも持ってお出なさればよいのでしょうに。」――そのことが、私の家の笑い話の一つとなりました。
そういうことがあったものですから、牛蒡一本と里芋五合との件について、妻が前申したような風に解釈したのは無理もありません。然し私はそれを聞いて、彼の――平田伍三郎の――気持がはっきり分って、自分でも一寸変な心地になりました。
母上
田舎では食物は実に豊富です。牛肉と海の魚類とを除いては、凡てあり余るほどあります。米は何俵も蓄えてあるし、野菜物は畑から一度に畚《もっこ》一杯も取って来るし、鶏といえば必ず一羽ですし、川魚は何斤という斤目ではかります。そしてそれに応じて一度の煮物も多量です。所が東京では、毎日各種の商人が用を聞きに来まして、その日の、重に晩の一度分の少量な食物を届けます。大根一本、牛蒡一本、里芋二三合、蕪半束、魚の切身二つ三つ、肉何匁、といった風な工合です。ですから、台所に大根が半分と馬鈴薯が四つ五つ転ってたり、竹皮包みの魚の切身が置いてあったりするのを見ると、田舎の人はままごとのような世帯だと思うに違いありません。考えてみると、不思議なほど貧弱な台所です。田舎では大饑饉の折にしか見られないことです。一日商人が来なければ、一家中一日饑えなければなりません。而も、そういう貧弱な台所の煮物と、狭苦しい住居の掃除とに、主婦や女中は一日の大部分を費しているのです。
平田伍三郎の話を聞いて、私の頭には、田舎の豊富な生活と東京の貧しい生活とが、はっきり映ってきました。そして私は、急に何だか頼りない気がしてきました。笑いごとではありませんでした。東京育ちの妻へいろいろ話してきかせますと、妻も淋しい眼付で考え込みました。
何だか話が理屈っぽく淋しくなってきましたから、このことはこれきりにして、先を続けてゆきましょう。
母上
前に申しましたようなわけで、平
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