られた腕で一間ばかり引きずられると、彼は遂に観念したと見えておとなしく歩き出した。二人の者は、彼を間に挾んで向うの暗闇のうちに消えてしまった。
それらの光景を群集はただじっと見ていた。三人が去ってしまっても、後からついて行った四五人の者を除いては、誰も身動きもしなかった。「刑事だ!」と低く囁く声がした。然しその後はまたしいんとなった。陰惨な沈黙だった。皆何かしら腹を立ててるらしかった。私も腹が立っていたというより寧ろ訳の分らぬ苛ら立ちを感じた。然しそれが、深い夜と薄暗い横町と異様な沈黙の群集との間だっただけに、一層不気味な心地だった。
暫くすると、群集は静にそして徐々に動き出した。私もそれにつれて四五歩|歩《ある》き出した。その時、通りの向う側の横町にちらと閃いた光りがあった。光りはすぐ消えた。警察の小使らしい男が提灯をつけて走って行った。巡査が二人駆けて行った。向う側の粗らな人影が少し動揺した。後はまた静かになった。
「小火《ぼや》だ!」という声が何処からかした。
そのうちにも、群集は静に流れてゆきつつあった。凄惨な気があたりに満ちていた。それがまた極端に静まり返っていた。今にも何かに爆発しそうでありながらそのまま静に落付いていた。
私は広小路の方に歩いて行った。薄暗い軒下や横町などには、沈黙しきった群が静に佇んでいた。
広小路まで来ると、私は妙に気抜けがしたような心地になった。巡査が四五人立っていた。粗らな人影が電車を待っていた。松坂屋の真黒な戸締りを背景にして、其処の四辻は寂然としていた。その上、ぼんやりと薄暗い中に透し見らるる公園下までの通りには、人の姿もなく、ただ物の影が深く立ち罩めていた。もう十二時に間《ま》もなかった。
私はぼんやりして其処に暫く立っていたが、巡査の声に促されて、十人許りの人と共に三丁目の方へ行く電車に乗った。顧みると、四方へ行く電車が少しずつ人を運び去っていたが、また同じ位の人数が何処からか出て来て、四辻にはいつも同じ位に粗らな群を作っていた。
電車の中で私は、その晩の光景を一々思い浮べてみた。そして種々の感情の後に心の底に残ったものは、結局訳の分らぬ静に落ち付いた陰惨な苛ら立ちの感だった。
私は三丁目で電車を下りた。
底本:「豊島与志雄著作集 第一巻(小説1[#「1」はローマ数字、1−13−21])」未来社
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