公孫樹
豊島与志雄
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)瑞々《みずみず》しい
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)小説2[#「2」はローマ数字、1−13−22]
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「この頃の洋式の建築は可笑しなことをするもんだね。砂利を煮て何にするんだろう。」
そう云って、吉住が煙草に火をつけながら立止ったので、私も一緒に立って、やはり煙草に火をつけた。
「まさか砂利だけを煮るつもりでもなかろう。」
だが、実際砂利だけを煮てるのだった。長方形の大きな鉄の釜が二つ並んでいて、一方のには真黒なアスファルトが、一方のには大粒の砂利が、何れも七分目ばかりはいっていて、下から薪が盛んに焚かれている。アスファルトはもくもくと煮立ってるままであるが、砂利の方には一人の男がついていて、シャベルの先でしきりにかき廻している。やがて、高い建築の上から斜めに下されてる足場を伝って、両端に石油缶の桶を天秤棒で荷った男達が、幾人も下りてきて、或者はアスファルトを、或者は砂利を、煮え立ったまま石油缶の桶一杯すくい取って、城砦のような高い建築の中に、運び上げてゆく。釜が空になると、またアスファルトや砂利が盛られ、その煮え立ったのが、石油缶の桶で運び去らるる。いつまで見ていても同じことだ。
「おい、行こうよ。」と私は促した。
「まあ待て、面白いじゃないか。」
吉住はさも感心したように、アスファルトと砂利との釜を見比べていて、動き出そうともしなかった。
砂利から立つ湯気と、アスファルトの濛気と、釜の下から出て来る火気とに、私は少し辟易して、四五歩しざりながら、あたりを振返ってみた。沈みかけた四月末の太陽が、淡い光を投げてる中に、大講堂の廃墟の壁がくっきりと聳えていて、その前に公孫樹の新緑が萠え出していた。十二年の大地震の折、大講堂と法文科の建物との猛火に挾まれながら、不思議に生き残って、春が来ればやはり可愛いい小さな葉を出してる公孫樹だった。それが大講堂の焼け残りの壁を背景に、四五本ずらりと並んでいた。
「ねえ君、」と私は吉住を呼びかけた、「砂利の煮えてるのなんかより、この木を見てみ給い。この方がよっぽど面白いじゃないか。両方から火に挾まれても、不思議に命が助かって、あんなに芽を出してるところは……廃墟を背にして芽を出してるところは、一寸いいじゃないか。」
吉住はくるりと向き返った。
「ああ、公孫樹か。」そして一寸間を置いた。「そいつあ火に強いんだ。」
「いくら強いったって……。」
「そして不思議な木なんだ。」
「不思議な木だって、公孫樹が。」
「不思議だというのは……。」
「何だい。」
「いや、僕だけにかも知れないが……兎に角変な木だよ。」
私達はもう歩き出していた。そして、吉住は最後の言葉を投げ出すように云い捨てて、憂欝そうに黙り込んでしまった。
彼が憂欝になると、一つの癖がある。下唇の端を犬歯で軽く噛んで、眼をしょぼしょぼとさせるのである。でその時――というのをくわしく云えば、朝から碁を囲んでいい加減疲れて、夕飯でも食おうとて出かけて、帝大の裏門から正門へぬける途中、砂利の煮られるのから、次に公孫樹のことになって、彼が急に憂欝な態度を取ってしまったため、私まで変に気が挫けて、彼のしょぼしょぼした眼から何かを読み取ったり、犬歯で軽く押えられてる唇をほどかしたりする、そんな努力が大儀になって、黙って彼と肩を並べて歩いた。
初め私達は、大学をつきぬけたら正門前から電車に乗って、日本橋の方へ行くつもりだったが、それも面倒くさくなって、どちらから云い出すともなく、正門近くのレストーランで、簡単に飯を食うことにした。
所が、そのレストーランの二階に腰を落付けると、自然と眼の向く表通りに、やはり公孫樹の街路樹が植っていて、小さな可愛いい葉の萠え出してるのが、硝子戸越しに見えていた。まだ時間が早くて、電気の来ない室内がぼうっとしてるだけに、外の明るみが際立って、公孫樹の梢がすぐ眼先にまざまざと浮出してきた。
「公孫樹は不思議な木だって、どうしてだい。」
そんな風に私は問いかけざるを得なかったのである。すると、吉住はなお憂欝な顔付になったが、やがて料理を食ったり酒を飲んだりしてるうちに、変に眼をぎらぎら光らしてきて、向うから進んで、次のようなことを話しだした。
僕の家の庭の隅に、大きな……というほどでもないが、可なりな公孫樹が一本ある。あんな往来にあるのなんかより、もっと美しい瑞々《みずみず》しい若葉を出してるし、秋には真黄色になって、庭一杯落葉が散り敷く。いくら枝を刈り込んでも、すくすくと威勢よく伸び上ってゆく。いつ頃誰が植えたものか分らないが、小さい時にその落葉を拾って遊んだという記憶はないし、その代り、末の妹なんかがそうして遊んでた記憶はあるので、多分僕の生れる頃に小さいのが植えられたのだろう。いや、僕が生れるより一二年前に植えられたのに違いない。なぜなら……。
だが、それは先の話だ。公孫樹というものは早く大きくなるものだね。もう立派な大木になっている。
その庭の隅の公孫樹を、父は大変大事にしていた。なぜだか僕には初め分らなかった。今でもよくは分っていないが……。
父には妙な癖があった。足の蹠の胼胝《たこ》を丹念に鋏で切り取るのだ。月に一二回は必ず切り取らなければ承知しなかった。胼胝といっても、踵やなんかに出来るのではなくて、小指の根本の蹠に、五十銭銀貨くらいの大きさに、まんまるく出来るのだった。切り取ってもすぐに固くなる、固くなると歩くのに痛い、痛いよりも気持が悪い、それで月に一二回は鋏で切ってとるのだった。
大抵日曜日やなんか、比較的朝遅く起き上る日、飯を食って新聞などを見てしまうと、それから、朝日のさしてる座敷の縁側で、ゆっくりと足の胼胝を切りにかかった。裁縫に使う握鋏で、少しずつ固い皮を切り取って、柔かくすべすべになるまでは、いつまでも気長にやっていた。
厳めしい長い口髭や荒い髪の毛などが、朝日の光を受けて赤茶けて見えていて、大きな額の下に、太い眉根をきっと寄せ、片足を投げ出して身体を変な風にくねらせ、真面目に一心に足の皮を切っている、その姿を見ると、僕は滑稽な気がしたり悲惨な気がしたりした。そういう父は、いつも平素より年が老けて見えた。
時によると、父は縁側に長く寝転んで、母や女中達に胼胝を切らせることもあった。そんな時は殊に気むずかしかった。手の指先で触ってみて、柔かくすべすべと平らになるまでは、どうしても承知しなかった。
「自分で切っても平らにゆく。お前達に出来ないわけはない。」
そう云って、気に入るようにならなければ許さなかった。そして両足とも済んでしまうと、立上って一つ大きく伸びをして、愉快そうに云った。「ああ、これでさっぱりした。」
父にとっては、蹠の胼胝を切り取ることは、髪を刈ったり入浴したりすることなんかよりも、もっと精神を爽快になすかのようだった。
それにまた、切り取る皮は散らさないで、下に敷いた新聞紙の中にまとめなければならないので、それが切る者には一苦労だった。固いこちこちの皮を握鋏で切るのだから、どうしても遠くへ飛び易かった。然し皮の一片でも遠くに飛び散ると、それを必ず拾わせられた。
「たとい足の皮でも、やはり身体の一部分だ、土足に踏み蹂られるところに打捨るのは不快だ。」
それが父の理屈だった。然しそれ以上にもっと本当の理由があったらしい。
父はどこからか、植物には人体が最上の肥料であると、変なことを聞いていたものと見える。戦争後の満洲の野がどうだとか、昔火葬場だった跡の野原がどうだとか、そんなことを話してきかしたことがある。そのためだかどうだか分らないが、足の胼胝の皮は必ずまとめて、庭の隅の大事な公孫樹の根本に埋めることになっていた。
公孫樹は隣家の軒に近いため、半日しか日が当らなかったが、非常な勢で伸び上って、毎年枝を切り落さなければならなかった。勿論、父が足の皮を公孫樹の根本に埋める癖は、いつ頃から初ったのか僕は覚えていない。然し父が公孫樹の根本に立って、すくすくとした幹を見上げながら、快心の笑みを洩してる姿は、今でもはっきり眼の中に残っている。
「俺の足の皮の養物を吸って、この伸び上った勢を見てごらん。」
そう云って父はよく高らかに笑った。
けれど実際、足の皮ってそれはいくらの量でもなかった。五十銭銀貨大の胼胝を薄く切り取ったものだから、円めても小指の先ほどしかなかった。月に一二回として一年分まとめても、ごく僅かな量にすぎなかった。
「あんな少しばかりのもので……。」と云って母は嗤った。
然し父は、人体の肥料価を主張して止まなかった。そして他に何の肥料もやらなかった。
「だけど、あなた、」と母は別な方面から父を揶揄した、「そんなに公孫樹を大きくしてどうなさるの。銀杏《ぎんなん》がなるまでにはなかなかでしょうし、それに、もし引越しでもするようになったら……。」
「その時は持ってゆくさ。俺が植えた木だから構やしない。……銀杏なんかどうだっていいんだ。兎に角、ああ威勢よく伸び上ってるところは愉快じゃないか。」と父は答えた。
その公孫樹が果して雌公孫樹かどうかは、父にも分ってはいなかったらしい。然し父の云う通り、年毎にずんずん大きくなってゆくのは、見てても気持がよかった。移転する折には持ってゆくなどということは、とても出来そうにないくらい大きくなっていた。そして後には父も、持ってゆくとは云わないで、やがてはこの借家を買い取るつもりだと云い出した。それには母も賛成だった。可なり古い家ではあったが、普請も間取りも相当によかったし、表にも裏にも地面の余裕があって、庭もわりに広かった。そして自分の家を一軒所有するということが、何よりも母の望んでいることだった。
そういう風にして、公孫樹は父の「足の皮の養分」を吸って、次第に大きくなっていった。
ところが、僕が高等学校の折、その公孫樹は隣家の火災のために、半焼になってしまった。
十月初めの夜中のことだった。「火事だよ、火事だよ、」という母の声に呼び覚されて、僕は驚いて飛び起きた。雨戸が一枚開かれていて、そこから真赤な明るみがさし込んでいた。その雨戸の開かれた真中に、くっきりと一人の男の立姿が浮出していた。それが父だった。
「慌てるな、大丈夫だから。」と父は怒鳴るように云った。「着物を着てしまうんだ。」
そこで僕達は皆着物を着た。そして父の指図で、母や弟や妹や女中達は大事な物の荷造りにかかった。
「雨戸を明け放しちゃいけない。電気をつけるんだ。俺が相図をするまで、荷物は運び出すな。」
何で雨戸を開け放すなと父が云ったのか、僕には分らない。がその時まで、電燈のことは全く忘られていた。それくらい、戸の隙間や窓から赤々とした光がさし込んで、室の中はぼーと明るかった。
父は一通り皆に云いつけておいて、台所の方へ飛んでいった。そして、風呂桶に使うゴムのホースを水道の口にあてがって、その先を掴んで外に飛び出した。僕もその後について外に出た。ぱっと明るいものが眼にぶつかった。室の中から見た真赤な光ではなく、電光のような感じのする光で、それがあたりを一面に照らしていた。瞬間に、ひどい物音がした。隣家の軒にひらひらと焔が伝っていた。
父はホースの先を小さくしぼりながら、水を家の軒先にかけていた。然し、隣家の火はひらひらと蛇のように這ってるだけで、火の粉も飛んでこなければ、熱くもなかった。それに隣家との間には、可なりの空間と公孫樹の茂みとが狭っていて、その厚ぼったい葉の無数に重なり合ってるのが、綺麗に浮出して見えていた。
「お前は荷造りの手伝をして来い。まだ荷物を出しちゃいけないぞ。」
父にそう云われて、僕はまた家の中に駆け込んだ。家の中はごった返していた。大事な物も何も見分けがつかなかった。僕は皆と一緒に手
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