交遊断片
豊島与志雄

 親疎さまざまの程度の友人達のことをぼんやり考えてみて、そのうちから、思い出すままの断片的印象を書き綴ってみることにする。随って、ごく親しい友人を書き落すこともあろうし、読者には訳の分らない事柄もあろうが、ある時誰彼とどういうことがあったというくらいの程度の追想の一部で、勿論交遊録などというまとまったものでない。そしてこの追想は、十年ばかり以前のことから初まる。
      *
 ひと昔前のこと、新関良三君と林原耕三君と私と三人で、よく牛肉を食いながら芸術を談じた。三人落ち合って、何処かに出かけてゆくのが面倒な時には、その下宿で牛肉を食った。牛肉と葱と豆腐と酒。新関と私とは酒好きで、林原は余り飲まない。林原がいつも女房役になって、加減よく牛肉を煮てくれる。それを新関と私とは横目で見ながら、酒を飲み初めて、生豆腐をやっこにして食べる。鍋の肉が煮えかける頃には、私達はもう少しずつ酔いかけて、豆腐はなくなってしまうのである。
「よせよ。豆腐ばかり食って。」
「なに、肉も食うよ。」
 そこで、私達は生煮の肉の方へ突進していく。
 所が、林原は非常な養生家だ。生豆腐や生煮の肉なんかとても食えない。彼が肉の煮えるのを待っているうちに、その肉は半煮のまま私達の口の中に消えてしまう。豆腐はもうとくになくなっている。忙しげに醤油や砂糖や炭火の方へ気を配ってる彼のためには、葱のむくろだけしか永遠に残らない。しまいに彼は箸を放り出して歎息する。
「君等のような意地汚い奴とは、もう決して肉を食わない。」
 それが私達にはまた面白いのである。
「そう怒るなよ。君はどうせ酒を飲まないから隙なんだろう。まあも少し面倒をみてくれたっていいさ。」
 そこで林原は益々憤慨して、飲めもしない自暴酒をやり出す。そして三人共酔っ払うことになる。
 さて酔っ払ってしまうと、新関はいきなり懐の金入を私の前に投出して云う。
「君のと一緒にして、いいようにしてくれ。どこか暖かい気持のいいところへ行くんだ。」
 林原までがそれに賛成する。
 そこで私は、いくら飲んでも心底から酔っ払いはしないというかどで、女房役の方へ廻されて、乏しい三人の財布を手に握って、どの方面へ出かけたものかと、寒い冬の街路を頭の中に描き出すのだった。
      *
 ひと頃、私は高瀬俊郎君と屡々酒を飲み歩いたものである。彼は有名な梯子酒で、夜の二時までも三時までも、凡そ酒を飲ませる家が起きてる限りは、私をつかまえて放さなかった。
 或る晩、やはりそうした彷徨の後、私達はすっかり酔っ払って、夜遅く街路を辿っていた。すると、彼はふいにその電車通りから、薄暗い横丁へ切れこんでいった。暫く行くと、とある家の前に立止って、その表戸をどんどん叩き初める。
「僕の友人がいるから一寸寄るんだ。」
 然しいくら叩いても、家の人は起きてこない。
「馬鹿によく眠ってやがる。」
 彼はあきらめて歩き出す。そして四五軒先に行くと、また立止ってそこの家の戸を叩き初める。やはり友人がいるのだそうである。
 そういう風にして、彼は四五軒おきによその家の表戸を叩いていく。もう二時頃で、町中はしいんと寝静まっている。どこも起きてくる家はない。やがて、或る板塀の中に明々と光の見えてる家に出逢う。
「一寸待っててくれ。」
 私にそう云いすてて、彼は板塀を易々と乗り越してはいっていく。五分……十分……ふいに彼は私の前に、板塀の上から飛び出して来る。
「うまいお茶を飲んできたよ。……だが、あいつ、変な顔をしてじろじろ見るから、飛び出してきてやった。」
 ははんと私は思うのである。そして二人でからからと笑い出したのであった。
      *
 或る時、新城和一君が風のように飛びこんで来て、下手な将棊を五六番やって、また風のように飛び出していった。
 飛び出していく時、梯子段をとんとんと子供のように馳け下りて、そのはずみに玄関の障子につき当って、立ち直りざま、ひょいと沓脱石の上の下駄をつっかけ、「さよなら、」という声と共に、玄関に揃えてあった他の二三足の下駄を蹴散らし、格子戸にごとりとつき当り、格子戸の敷居に躓き、そのよろけたはずみで、表の戸をがらりと引開け、戸と柱と敷居とに身体中でぶつかって、あっと思うまにもう戸を閉めて、ぷいと消え失せてしまった。
「まあ!」という気持で見上げる妻の眼付に、私はくくっと忍び笑いで答えたが、心は嵐の吹き過ぎた後のように惘然としていた。
      *
 震災前のことだが、芥川竜之介君と私とは共に、横須賀の海軍機関学校に教師をしていた。学校の運動場がすぐ海に続いていたので、隙な時間にはよくその海岸を散歩した。
 或るうち晴れた日の午後、私はまた芥川と一緒に海岸を歩いていた。よく凪いだ海が干潮にな
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