事だ。
 その釜揚饂飩が来る間に、話のついでから、私は彼に書きかけの原稿を見せた。第二作目の戯曲を三分の一ほど書いてるのだったが、どうも思うように書けないで気持が変梃だったので、その方の専門家たる彼に見て貰ったのである。
 彼は私の原稿を一通り見終って、少しずつ欠点を指摘し出したが、しまいには全部いけないということになってしまった。
「どうも何だね、君の小説と戯曲とは、大学生と中学生との差があるね。」
 私は苦笑した。そこへ、註文の食物が来た。そして彼は、釜揚饂飩と茶碗蒸と鮪の刺身と、妻の手料理の小鯛の塩蒸とを、みんなうまいと云ってくれたし、酒まで大変いいとほめてくれた。私は心外だった。美食家の彼にそんなものがうまかろう筈はない。然し彼はそれをみなうまいうまいとほめ立てて、一切残らず平らげてしまい、私の戯曲の方は、感服出来ないから書き直せというのだ。私は不平の余り、彼の審美眼と彼の味覚とに疑問を懐こうかと思った……がそれは止めた。
      *
 或るレストーランの二階、辰野隆君と山田珠樹君と鈴木信太郎君と私と、四人で昼食をしていた。この三人は立派なプロフェッサーで、私はその中に交ると、一寸変な気がするのである。
「僕は教師が片手間なんだから、少々うしろめたい気がするね。」と私は、教師というものの本質論が出た時に云った。
「なに片手間だって君は立派すぎるくらいだよ。」と辰野が、吃りを超越した早口で云ってくれた。
「誰だって教師は片手間さ、教室は書斎の延長の一端なんだからね。」と鈴木が、下唇の下の可愛いい髯をぴんとさして云ってくれた。
「片手間で丁度いい、それ以上になったら大変だ。」と山田が、立派な髯をひねりながら――というのは比喩で実際にひねりはしないが――云ってくれた。
 そこで、教師の本質論は片がついてしまったのである。
      *
 まだいくらもあるが余り長くなるから止す。
 友を想うことは楽しいことだ。文字に書き現わすよりは、一人で想ってる方が更に楽しい。こんな雑文を長々と書き続けるのは面白くない気がしてきたから、ペンをおいて煙草でも吹かそう。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月24日作成
青空文庫作成ファイル:
この
前へ 次へ
全6ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング