た。
そして彼は益々無口に憂鬱になると共に、一方では益々人を見下すようになった。しようと思えば人間の一人や二人訳もなくひねりつぶせる、そういう感じが自然と表面にも出て、傲然と周囲を見廻した。そして実際、彼の膨大な体駆と憂鬱などこか獰猛な顔付とには、何となく人を押し伏せるだけのものがあった。彼の町でもまた向うの町でも、正面から彼に対抗しようとする者はなかった。彼は人々から恐れられながら、一人黙々として歩いていた。ただ自分の馬に対してだけはやさしかった。秣草や糠水などにもよく気を配った。
或る時、向うの町で、自転車に乗った男が子供を突き倒したことがあった。彼はいきなりその男を引捕えて、横っ面を張り飛してやった。貴様なんか殴り殺すなあ雑作もねえが……と云いながら眉をしかめて去っていった。
或る時、彼は平兵衛の店先に腰を下して煙草を吸っていた。すると隣りの家で、木の枝に縄を引っかけ、※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]の首を結えてぶら下げた。※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]は声も立て得ず宙に※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]きながら、次第に弱っていった。それをじっと見ていた彼は、ふいに立ち上って怒鳴りつけた。
「俺の前で何ちゅうことをしてるだ。ぐずぐずしていりゃあ、貴様を叩き潰してくれるぞ。あっちい持ってけ。」
隣りの男は呆気に取られた。平兵衛も固唾《かたず》をのんだ。が、彼はやがて、くしゃくしゃな渋め顔をして、ぷいと向うを向いてしまった。手が震えていた。
何かしら彼のうちに、調子のとれないものが二つあって、あんぐり口を開いていた。
五
朝から薄曇りのした、風のない蒸し蒸しする日だった。のっぽの三公兄貴は、珍しく午後遅くまで、町の居酒屋で仲間達と一緒になっていた。
「どいつもこいつも、余り気に喰う野郎じゃあねえが、我慢してつきあってやるだ。」
酔った揚句に云ったそんな言葉が、後まで伝えられた。
四時頃彼は、空《から》の荷馬車を引いて帰っていった。途中で真暗になった。手に提灯をぶらさげて、手綱を短く取って、高い大きい身体をのっそりと急ぐでもなく、何やらぼんやり考え込んで歩いていた。ぽつり……ぽつり……というほどでもなく、小さな雨が降り初めたようだった。彼は時々立止っては、馬の平首を手で撫でてやった。
平兵衛の立場茶屋から半里ばかり行ったところに、昼間でも暗い森があった。それにさしかかった時、彼はふいにびくりとした。とたんに、森の木影から小さな姿が、提灯の光を受けた闇の中から、ぼーっと浮び出してきた。また気のせいかな、と思いながら二足三足機械的に進むうち、そいつが大きく伸び上って、森の梢までもとどきそうになった。ぞーっと髪の毛が逆立つ思いに、彼は却って無鉄砲になって、やっつけてやれと、手綱を一つぐいと引きしめながら、すたすたとぶつかっていった。が……何の手答えもなく、馬も荷馬車も影のうちに呑みこまれてしまって、しいんとなった。彼は無我夢中に森を駆けぬけた。
冷たくねっとり額と背中とに汗をかいていた。手綱を取ってる左の手の甲で額を一拭きした時、細かな雨が降ってるのに気付いた。そして何気なく空を見上げて、その眼をやった彼方の山裾に、ぱらぱらっと……消えたりついたり、よく見ると美事な狐火が、一面に押し動いていた。
おや。
見とれた瞬間に、何か明るい晴々としたものが、ふいに彼の胸の中に飛びこんできた。彼はあっと眼と口とを打開いたまま、思わず提灯を取落してしまったが、それから先はもう覚えないで、狐火の方へ足を宙に駈け出してしまった。
真暗な中に取残された馬は、嘶きもせず慌てもせず、暫く其処に立っていたが、それからことりことり荷馬車を引いて、通い馴れた街道を自分の家の方へ、そぼ降る雨の中を帰っていった。
彼の家では、一番年上の十二になる子供が、表の戸がごとりごとり叩かれるのを聞きつけて、立っていって戸を開けると、にゅっと馬の頭がはいってきた。たしかに自分の家の馬で、荷馬車を引いて、雨に濡れてしおしおとした悲しげな眼付をしていた。
彼の姿は見えなかった。
家中の者が騒ぎ出した。やがて町の人達も騒ぎだした。噂は界隈に拡まった。がいつまでたっても、彼は戻って来なかった。それらしい姿を見かけた者もなかった。
のっぽの三公の消息は、それきり全く分らなかった。或る古老から聞いた通りに、この話を綴ってる私自身にも、勿論分りようはない。
底本:「豊島与志雄著作集 第二巻(小説2[#「2」はローマ数字、1−13−22])」未来社
1965(昭和40)年12月15日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年11月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このフ
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