や穀類などの運送の荷は、部落といってもよいその小さな町にも、もう可なりたまっていた。
彼は不在中の老母の死を、さほど悲しみはしなかった。と云うよりも寧ろ、長い間病気で寝てた老母の死を悲しむ余裕が、余り残されなかったほど、彼は意外な驚きを他の方面に感じたのだった。
彼は先ず、平兵衛の家へ線香を持って、平吉の仏を拝みにいった。すると、彼が詫言を云わない先に、平兵衛の方からいろいろ云い訳を初めた。平吉がああなるのも前の世からの約束だったに違いない、こちらは何とも思ってはしないから、前々通り懇意にして貰いたい、全くお前さんの方に罪はない、罪があろうとは誰も思ってやしない……などと口説き立てて、酒肴の馳走をしてくれた。恕み小言を並べられるに違いないと思っていた彼は、張り合いぬけのした気持で、ぼんやり杯を重ねた。
煤けた三尺の仏壇に、小さな新らしい位牌がぽつりと立っていて、豆ランプがぼーっとともっていた。平兵衛は婆さんに云いつけて、豆ランプを消させ仏壇の開扉を閉めさした。そして彼へしきりに酒を勧めながら、町へ行ってる息子にはまだ大勢子供がいるから大事ないとか、いつまでも死んだ子のことを考えるには及ばないとか、お前さんに罪があろうとはこれんばかしも思ってやしないとか、お前さんは立派な申立をしてくれて有難いとか、そんなことをのべつに饒舌り続けた。そして彼の顔色を窺っては、云い直したり口籠ったりした。婆さんも室の隅っこに控えていて、恐る恐る彼の方を見ていた。じ……じ……じ……とかすかな音を立ててるランプの光が薄暗くて、しいんとした夜だった。表の街道には人通りも絶えていた。
「わし達のことを悪く思ってくれるでねえよ、なあ。」
「何で悪く思うもんか。ははは……。」
突然の彼の笑い声に、老人達はぎくりとしたように身を引いた。息をつめて眼ばかり光っていた。その慴えた[#「慴えた」は底本では「摺えた」]顔付を見て、彼の方で喫驚した。
俺をおっかながっていやがるな。だが……実際、殺そうと思やあ、こんな奴の二人や三人くれえ……。
彼は落付かなかった。酒もよく廻らなかった。そこそこに辞し去った。
何というこった、俺は……。
その心持がいつまでも納まらなかった。
町の旦那のところへ行くと、彼はやはり向うから弁解めいたことを云われた。お前は立派な人間だ、お前に罪なんかあるものか、私はお前を信じてる、などと顔色を見い見い云われた。外を通ってると、今迄威張りくさってた奴等までが、向うから道を譲って挨拶してくれた。
彼は俄に恐ろしい豪い者になったのを知った。何故だかはさっぱり分らなかった。そしてどうも工合が悪かった。
なあに構わねえ、やっつけてやれ。
しまいに心を据えて、昂然と反り返りながら、五六里先の町との間を、荷馬車を引いて往来し初めた。
四
向うの町にも彼の噂は伝わっていた。仲間の馬方達と飲み合う時には、四方から杯が集ってきた。面と向うと、三公兄貴と呼ばれることが多くなった。彼はそれに次第に馴れてきて、気に喰わぬことがある時には、太い拳を握りしめながら怒鳴りつけた。本当に腕力沙汰に及んだこともあるが、彼の強い腕っ節にかなう者はなかった。
然し平素は、彼は極めて無口だった。その上次第に憂鬱になっていった。荒い眉根をしかめてることが多かった。そして大抵早めに家へ帰っていった。
家に帰ってから、いつも酒を飲んだ。女房や子供達に対しても、ひどく無口に冷淡になってきた。一人でむっつりとやたら飲みをしては、酔っ払って寝てしまった。
彼のそういう憂鬱の種は、或る漠然とした一種の気掛りだった。日が没してから街道を辿っていると、どこかの暗がりから、平吉の姿が――平吉ともいえそうな小さな奴が、ひょっこり出て来て、荷馬車の下に横たわりそうな気がした。馬鹿馬鹿しいと思うと、其奴が可愛くにこにこっと笑い出しそうになった。
この荷馬車がいけないのだ、と彼は思うこともあった。然し新らしく荷馬車を買代えるほどの金はなかった。それにまた、荷馬車のせいばかりでもなかった。
平吉が荷馬車に轢かれた時、彼は平吉の叫び声を何一つ耳にしなかった。そのことがいつまでも忘れられなかった。果してあの場合平吉は叫び声を立てたかどうか、それは全く彼にも分らなかったが、何の叫び声も聞えず黙って轢き殺されたということが、あの生々しい傷口や痙攣などよりも、何物よりも、不思議に不気味に思われた。そしてそのことが、時や場所を択ばず、ひょいひょいと彼の頭にからみついてきた。
平吉か何かの姿が夜の暗がりから出てくることは、彼には恐ろしくも何ともなかったが、それが音も声もなくすーっと荷馬車に轢かれる、そういう感じが、変に彼をぞーっとさした。それに対して彼はどうすることも出来なかっ
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