前を信じてる、などと顔色を見い見い云われた。外を通ってると、今迄威張りくさってた奴等までが、向うから道を譲って挨拶してくれた。
彼は俄に恐ろしい豪い者になったのを知った。何故だかはさっぱり分らなかった。そしてどうも工合が悪かった。
なあに構わねえ、やっつけてやれ。
しまいに心を据えて、昂然と反り返りながら、五六里先の町との間を、荷馬車を引いて往来し初めた。
四
向うの町にも彼の噂は伝わっていた。仲間の馬方達と飲み合う時には、四方から杯が集ってきた。面と向うと、三公兄貴と呼ばれることが多くなった。彼はそれに次第に馴れてきて、気に喰わぬことがある時には、太い拳を握りしめながら怒鳴りつけた。本当に腕力沙汰に及んだこともあるが、彼の強い腕っ節にかなう者はなかった。
然し平素は、彼は極めて無口だった。その上次第に憂鬱になっていった。荒い眉根をしかめてることが多かった。そして大抵早めに家へ帰っていった。
家に帰ってから、いつも酒を飲んだ。女房や子供達に対しても、ひどく無口に冷淡になってきた。一人でむっつりとやたら飲みをしては、酔っ払って寝てしまった。
彼のそういう憂鬱の種は、或る漠然とした一種の気掛りだった。日が没してから街道を辿っていると、どこかの暗がりから、平吉の姿が――平吉ともいえそうな小さな奴が、ひょっこり出て来て、荷馬車の下に横たわりそうな気がした。馬鹿馬鹿しいと思うと、其奴が可愛くにこにこっと笑い出しそうになった。
この荷馬車がいけないのだ、と彼は思うこともあった。然し新らしく荷馬車を買代えるほどの金はなかった。それにまた、荷馬車のせいばかりでもなかった。
平吉が荷馬車に轢かれた時、彼は平吉の叫び声を何一つ耳にしなかった。そのことがいつまでも忘れられなかった。果してあの場合平吉は叫び声を立てたかどうか、それは全く彼にも分らなかったが、何の叫び声も聞えず黙って轢き殺されたということが、あの生々しい傷口や痙攣などよりも、何物よりも、不思議に不気味に思われた。そしてそのことが、時や場所を択ばず、ひょいひょいと彼の頭にからみついてきた。
平吉か何かの姿が夜の暗がりから出てくることは、彼には恐ろしくも何ともなかったが、それが音も声もなくすーっと荷馬車に轢かれる、そういう感じが、変に彼をぞーっとさした。それに対して彼はどうすることも出来なかっ
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