多い巳之助が、そのようなことを言い出しましたので、久江夫人は眼をしばたたきました。普通の病気と違うらしい容態、言葉少なに重々しくなった医者の態度、病室の空気の沈んだ気配などが、胸にこたえました。それを、しいて彼女は微笑みました。
「そのようなことは、どうでも宜しいではございませんか。病気がおなおりなすってからでも……。」
「今でなくてもよいが、然し、あの姿を、あすこに曝さしておくのも、気の毒だからね。」
 久江は彼の顔を眺め、それから椎の木の方を眺めました。
「ほんとに、惜しいことをしました。あの木は、家の目印しでございましたからね。空襲中、見舞いにいらして下さる方は、遠くから、あの木が青々としているのを御覧になって、まだ無事だと、そうお思いなすったそうでございますよ。」
 巳之助は返事をしないで、苦痛に似た表情をしました。それから、暫く無言のあとで、打ち切るように言いました。
「伐り倒して、薪にでもするか。」
「薪には、ほんとに不自由しておりますから、たいへん助かりますけれど、それにしても、あれを薪に割るのは、容易ではございますまい。」
「なあに、造作もないさ。」
 それきり、巳之助
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