い苦痛だった。光子は父親が来ると眼をじろりとさしたが、それからすぐに、全く無関心な様子に返っていった。然し彼が出て行って暫くやって来ないと、すぐ呼びたてた。彼は息をつめながら、松木が控えている室にはいって来なければならなかった。そしていくら我慢をしても、松木の存在の方へ次第に意識がねじ向けられていった。じりじりと汗がにじみ出すような気持だった。どうしてそう松木の存在が気になるか、どうしてそう憎まずにはいられないか、自分でも分らなかった。余り苦しくなると、彼はわざと光子の方へ寄っていって、話をしようとしたが光子は口を利くのを喜ばない風だった。時々見せる微笑も次第に消えて、天井ばかり見つめていて、それから眼瞼を閉じた。暫くたつと、大きな露わな眼で、彼の方をじっと眺めていた。彼が見返すと、微笑らしい影を頬に浮べた。
光子のために松木の存在なんか無視してやれ、とそう彼は心の中で誓った。然しやがてまた、じりじりと気持が欝積してきて、どんなことになるか分らなくなった。光子と親子だということが、堪えがたい圧迫となってきた。
彼は光子の手を握ってやって、表面に光の浮いた大きな奥深い眼を覗きこんで、その中に自分の心を溺らそうとした。
光子の容態は、良いとも悪いともつかず、何等の変化も見せなかった。同じような昼と夜とが続いた。
五日目頃から、光子の顔は急に輝いたり曇ったりし初めた。長く笑顔を続けてるかと思うと、また涙ぐんでいたりした。
彼は心配しだした。夜遅くまでついていた。他に名医を迎えたらどうかと、房子に云ってもみた。
「いや、気力が出て来たのだ。心配のことはない。」
眉根を曇らしている房子へ、松木は平然と云った。それを聞くと彼はかっとなった。
「然し何だか……。手後れになっても構わないんですか。」
「大丈夫です。」
彼は坐り直して、松木の方へ向き返った。松木もじっと彼の方を見ていた。そして二人は長い間対坐していた。彼は息苦しくなって、我を忘れかけようとしてはまたはっとした。しまいには何もかもぼんやりしてしまった。眼に一杯涙が出ていた。
「片山さん。」
呼びかけられて彼は顔を挙げた。松木が震える手に厚紙を持って、彼につきつけていた。
「光子は大丈夫です。よくなったら、あなたがどこかへ転地にでもお連れなすって下さい。私とはどうも、あなたも光子も性分が合わないようです。
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