いた。その上、房子は始終下を向いて、時々ちらと彼の方へ目配せをした。彼は腑に落ちかねて、二階へ退いていった。
階段を上ろうとすると、茶の間の片隅に、光子がぼんやり坐っていた。彼はそれを二階へ連れて上った。
「今聞いたんですが、何か、古井戸の夢をみるんですか。」
光子は彼の顔をじっと眺めて黙っていた。
「なぜ私に隠していたんです。え、どんな夢をみるんです。云ってごらん。え、どんな夢。」
光子は頭を振った。
「ねえ、黙ってては分らないから、本当のことを云ってごらんなさい。……え、どうしたの。」
光子は慴えたような顔をして、低い声で云った。
「夢なんか見ないの。」
「え、見ない。だって、お母さんは、光子さんが夢でうなされるって……。」
光子は一寸、呆けたような眼付を空に据えたが、いきなり彼の肩に飛びついてきて、囁くような調子で云い初めた。
「夢なんかみないのよ。でもね、お父さんが、恐い夢をみると云わなけりゃいけないって……。嫌だと云うと、ひどく叱られたの。それであたし、一生懸命に云ってやったわ。恐い夢をみて、ちっとも眠られないって。するとあの爺さんが、じっとあたしの顔を見たの。あたし喫驚して、いろいろ恐い夢の話を、一生懸命に、教った通り話したの。恐い夢の話を聞いて、その通りに思いこまなけりゃいけないって、そうお父さんに云われたから、あたし、夢にみたんだ、夢にみたんだって、しょっちゅう考えてたのよ。すると、何だか、本当にみたような気もするの。あたし恐いわ。」
彼女は眼をぎらぎら光らしていた。
「どんな夢です。」
それは馬鹿馬鹿しい夢だった。広い綺麗な庭の中に車井戸があったり、庭の古井戸の跡に赤ん坊の泣声がしたり、女の首がどこからか転ってきたり、其他いろんなことだった。然しどれもみな、彼が友人から聞いた昔話に基いてるものであることは、明かに見て取られた。
「そして、お母さんは……。」
「お母さんはね、あたしが叱られて泣いてると、お父さんと喧嘩をして、ひどく打たれたのよ。それからちっとも、あたしの味方をしてくれないの。」
「そして、夢をみたことは本当なんですね。」
「ええないの。………だけど、恐いわ。」
彼は光子を抱きしめた。
「私がこれからついてあげるから、もう夢の話なんか考えちゃいけません。ねえ、忘れてしまうんですよ。誰が何と聞いても、知らないと云って、忘れ
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