たのに似ている。「レ・ミゼラブル」のなかに書かれてることは、ブルジョア社会の道徳的説明と人道主義的正義感の高唱とであり「資本」のなかに書かれていることは、資本主義社会の経済的説明と階級意識の示唆とである。そして主人公のジャン・ヴァルジャンもゼッド・ラッシャーも、作者の頭脳的傀儡であって、人間としての生きた心臓はごく僅かしか持たない。
こういう方向に文学が進む時、遂には文学から生きた性格が――人間としての生活感を具えた性格が――駆逐される。そして文学は論文や統計や記録に近づいてゆき文学としての解体の途を辿る。
文学が解体したとて、一向差支えない。「レ・ミゼラブル」や「資本」はそれ独自の価値を持っている。しかしながら、それほど独自の価値を持たない非文学的文学は結局一の顛落に過ぎない。そしてこの顛落から文学を救って、文学として価値を持たせるには、新らしい性格の描写によるのほかはない。文学者の視野においては、社会的変革ということは、生活様式や社会組織の変化などよりも、新らしい人物性格の発生を意味する。婦人解放の機運は、イプセンにノラを描かせた。富裕なロシヤ貴族の遊惰は、ゴンチャロフにオブロ
前へ
次へ
全74ページ中65ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング