。どういう風に異なるかを見るには、従来のいわゆる心理解剖小説のことを一言しておく必要がある。
心理解剖小説は、近代になって極度の精緻さを来した。例えば、吾国によく知られてるドストエフスキーやブールジェの小説はそれである。
ドストエフスキーは心理解剖ばかりの作家とはいえない。彼の小説は、その構想の上にロマンチックなところが非常に多く、細民街の貧しい人々の描写には深刻な写実味が豊かであり、虐げられた人々の生活の叙述には一種神秘な心霊的な光輝が漂っている。けれども、例えば「罪と罰」などのような作品は、結局心理解剖を主としたものといってよいだろう。そしてブールジェの方は、純然たる心理解剖作家である。
ところで、それらの作家の作品において、第一に目立つことは、その心理解剖が人間の行為を説明せんがためのものであるということだ。とこういえば、或は可笑しく聞えるかも知れない。すべて芸術上の種々の態度や方法は、それ自身が目的ではなくて、或は美を目的とし、或は何等かの解決を得るのを目的とする。だから心理解剖もそれ自身が目的でなく、即ち解剖のための解剖ではなくて、説明のための手段であることに、別に不思
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