り理解したりする実際的役目を帯びてるだけである。吾々の理想や性格は、その意識的な部分よりずっと広く拡がっている。無意識こそ吾々の精神生活の普通の形体であって、この隠れた広い深い源から、吾々の意識的な理論的な生活が流れ出てくる。
それからなお、彼は時ということについて新らしい考察をした。従来、時は空間と同様に測定されるものとされていた。即ち、時の各瞬間は同質のものであって、一メートルの長さの上に一メートルの長さをつぎたすことが出来るように、或る時間の上に或る時間がつぎたせるものであった。然しそれは、ベルグソンによれば、全く抽象的な仮定に過ぎなくて、現実の時というものは、ただ純粋な持続のみである。持続はたえず変化する。それ故、或る事物や現象の或る瞬間はその前の瞬間とは異なる……。
右のような所説は、文芸界にも新らしい見解を寄与したが、更に、フロイドの精神分析学は大きな影響を齎した。フロイドによれば、吾々のうちには二つの存在がある。一つは自然的存在、即ち吾々の天性通りの存在であって、も一つは人為的存在、即ち教育や社会的拘束によって作り上げられた存在である、ところで吾々の意識は、この第二の人為的存在をしか認めたがらない。しかし往々にして、第一の自然的存在の方が強力であって、無意識界の底から、種々の身振や癖や夢想や狂気や罪悪などを強要する。
なおフロイドは性的本能について微細な研究をなし、リビドーの理論を打立てた。吾々には栄養の本能があって、時に空腹を感ずると同様に、また性的本能があって時に性的空腹を感ずる。この性的空腹をリビドーというのである。そしてリビドーはその実際的満足を得ない場合には、種々の異なった形になって現われてくる。各人の神経組織に随って、或は精神病となり、或は夢となり、或は神秘主義となり、或は芸術となる。
彼の夢の解釈と芸術の解釈とには、多くの新らしい見解を含んでいる。芸術の解釈には幾多非難の余地があるけれども、夢の解釈は吾々の無意識の世界に多くの光明を投ずるものである。吾々の無意識の世界が、如何に多くの潜在的な記憶や欲望などの要素を含んで、深く広いものであるか、それを明示し、或は暗示する。
かくて、多くの哲学者や、心理学者などの研究は、吾々の精神生活のうちに広い深い無意識或は潜在意識の世界が存在することを、そして意識の世界はごく狭い一小部分にすぎな
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