ていた。曇り空の下の風見車《かざみぐるま》に似ていた。それに自ら気付いた時、彼は考えるのを止めた。兎に角生れてみなければ、まだ海のものとも山のものともつかないんだ、と結論した。
 然し、そういう風に凡てを未来に突き放しておくことは出来なかった。
 秋子はやがて産婆にかかった。
「もう五ヶ月ですって!」
 彼女は一杯に円く見開いた眼を輝かしていた。
「そんなになるのかい。」そして彼は一寸間を置いた。「五ヶ月といえば、もうちゃんと赤ん坊の形をしてるかしら?」
「ええ、そうでしょうよ、屹度。心臓の鼓動が聞えるくらいですもの。……鼓動の数が多いから、女の児かも知れないんですって。嫌ね。私男の児がほしいんだけれど。でも、最初は女の方が育ていいとかいう話ですわ。」
 彼女は、眼の縁に肉の落ちたらしいたるみが出来、脂気と濡いとを失った顔の皮膚が総毛立ち、髪の毛の真黒な艶が褪せていた。固く結えた帯の下に、充実した力で盛り上ってる腹が見て取られて、平素からわりに小さかった臀が、更に影薄くなっていた。痩せた薄っぺらな胸から、僅かな努力にもすぐに喘ぎそうな細い息が、せわしげに出入していた。そして、そのままの姿で、うっとりと胎内の何かを見守っていた。
 胎内の何かを! としか順造には実感出来なかった。玉のような子であるかも知れないが、また、件《くだん》のような怪物であるかも知れなかった。秋子は右の眼が左の眼よりだいぶ小さかった。それが遺伝のうちに強調されて、鼬《いたち》の右の眼と大入道の左の眼とを持った子供となるかも知れなかった。彼女の耳の下の黒子《ほくろ》が、子供の顔半面に拡がるかも知れなかった。また彼自身も、自分で気付かないどんな欠点を持ってるかも分らなかった。彼は試みに両手を差伸してみた。どんなにしても、右の手の方が少し長いように思えて仕方なかった。また彼は、大森林の中に迷い込んだ者の話を思い出した。森から出ようと思って真直に歩くつもりでも、必ずまた以前の所に戻ってくるそうだった。目隠しをして広場を歩かせられると、誰でも皆自然に曲線を辿って、決して真直に歩けないそうだった。そしてみると、人間の足はどちらかが必ず短いということになりそうだった。それが少しひどくなると、跛足《びっこ》になるの外はなかった。その他、偶然の畸形はいくらでも想像出来た。指が一本足りないこと、頭がまる禿げであること、片目、鼻っかけ、欠唇《いぐち》、蹙《いざり》……少し調子が狂えばもはや怪物だった。
 生れてみなければ分るものではない!
 二人向き合って話が途絶えるような時には、順造は知らず識らず秋子の腹部に眼をやっていた。其処に何かが孕まれて、もはや小さな心臓の音を立ててるのだった。
「だいぶ大きくなったようだね。」
 咄嗟に云い捨てた言葉を口実にして、彼は手を差伸した。帯と着物と襦袢と、ぐる/\巻かれた紅白の布、その下に、むっくりと脹らんでる腹が、押しても小揺ぎさえしそうにないほど、泰然と控えていた。その張りきった根強さが、彼の指先から胸へじかに伝わった。彼は怪しい心の戦《おのの》きを感じながら、とんとんと叩いてみた。
「あら、いけませんよ、叩いては。」
 睥めるように眺めた秋子の眼付が、なお彼の心を唆った。指先から次には平手で、次には拳固で、力一杯に押しっくらをしてみたくなった。
「お胎《なか》の児に響くじゃありませんか。」
 彼女は両手で腹部をかばって、一寸険のある顔付をした。その様子が彼を依怙地《いこじ》にならした。冗談だか真剣だか分らない気持でぶつかっていった。彼女は本当に怒りだした。
「玩具《おもちゃ》じゃありませんよ。」
「だって触《さわ》らしたっていいだろう。僕の……。」
 僕の児じゃないか、と云おうとして彼は中途で言葉を切った。勿論彼の児には相違なかったけれど、それよりも寧ろ、天地自然の芽ぐみ……豊かだ……という気がした。その気持が彼を、胎児の側から、また秋子の側から、遠くへつき放してしまった。彼はくしゃくしゃなしかめ顔を、どういう風に和らげていいか分らなかった。
「あなたみたいに我儘では、お父さんになる資格はありません。」と秋子は云った。「も少し真面目に考えて下さらねば困るじゃありませんか。片山さんでも中野さんでも、奥さんが姙娠なさると、それは大切になすったものですよ。毎日卵を二つと蒲焼《かばやき》を食べさせなすったんですって。私そんなものを食べたくはないけれど、それくらい大事にして貰うと、ほんとに幸福だと思いますわ。あなたはまるで、私一人で勝手に姙娠したとでもいうような調子ですもの。」
 然しそれは、順造に云わすれば、眼の置き所が違うからだった。彼にとって直接に大事なものは秋子だった。その秋子の腹の中に、何とも云えないものが――胎児とは分っているが、実
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