感としては仄暗い力強い根深い不気味な、凡てを押しのけてむくむくと脹れてくる生命が――宿ってるのだ。そのものに対して、秋子が全身を挙げて奉仕してることが、彼にとっては、秋子をいつまでも掌に握りしめていたいだけに、小憎らしいほど秋子が可愛いいだけに、一層気持を脅かされる種となった。
 彼女にとっては、俺のことなんかはもうどうでもいいのだ!
 一寸した用事を頼んでも、彼女はなかなか立ち上ろうとしなかった。特別に彼女に云いつけた仕事も、長く放ったらかされてることが多かった。その上彼女は、彼を反対に使おうとしていた。背が低いので、高い所にある物を取る時にはよく彼を呼んだ。
「余り手を挙げるといけないんですって。」
 そんなに胎の児が大事なら、姙娠を彼にうち明けるのだって、もっとしみじみとした心でなぜしなかったのか。喧嘩のついでなんかは、余り人を踏みつけにした仕業だった。彼はそれを責めてみた。
「だって、まだどうだか自分でもよくは分らなかったんですもの。あなたが余り呑気だから、本当にそうだときまってから、不意に喫驚さしてあげるつもりもあったんですわ。それが、あの時はあなたが余りひどいことをなさるから、つい調子で云ってしまったのです。」
 人を馬鹿にしたように、小さい方の右の眼だけで笑っている、その様子が、順造は急に堪らなく可愛くなった。いきなり飛びついていって、両肩に手をかけてぐんぐん押えつけてやった。
「お止しなさいよ、苦しいから。」
 彼はなお力を入れた。彼女の小さなまるまっちい身体を、其処に押しつぶし、畳の上にごろごろ転がして、それから両腕で胸に抱きしめてみたかった。肩の手を離して、上から押被さりながら、両膝の下に手先を差入れて、坐ったまま持ち上げた。彼女は笑いながら身を※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]いた。※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]くはずみに彼の手から滑って、其処にどしりと落ちて倒れた。
 彼はぼんやりつっ立ったまま待っていた。が彼女は長く起き上らなかった。しまいには肩ではあはあ息をしだした。心配になって覗き込むと、彼女はがばとはね起きて身を退《ひ》いた。
「あなたはそんなにお胎の児が憎いんですか。」
 冗談にしては余りに声の調子が落着いていた。姙娠前に、ふざけるつもりから喧嘩になって、手荒くつき飛されたりなんかした後で、そんなに私が憎
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