に行くのが楽しみでした。下げてきた鋼《あか》のやかんに一杯雪をつめて戻ってくると、祖母はそれをゆるい火の上にかけて、雪解の水をわかし、それで玉露をいれるのでした。それは祖母にとって、何かしら一種の贅沢なたしなみみたいなもののようでした。
 夕食後、家の人たちが茶の間でいろいろな用談を初めます時など、私は祖母についてその居間に退き、炬燵にあたりながらうつらうつらするのでした。祖母は昔噺をやめて、じっと外の物音に耳をすますようなことがありました。そういう時に限って、屡々、裏の大楠の高い茂みのなかに、異様な鳴声がしたり、激しい物音がしたりしました。
 私がぞっとして、眼付で尋ねますと、祖母は柔かなたるんだ頬にやさしい笑みを浮べて云いました。
「恐《こわ》がることはありません。狐ですよ。お稲荷様が祭ってあるでしょう。」
      *
 この物語に、祖父や父母や其他の面影が立現われぬからといって、咎めないで下さい。それらの人々のなまなましい面影が浮ばなかったことは、筆者にとってせめてもの慰めです。これは古里の幻の園で、いにしえの心の港です。



底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・
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