みんな不機嫌でした。そのことを思い出しましたので、祖母のことが気になって、見に行きました。
祖母はいろんな器具のとりちらかされた中に坐って、大きな杯をじっと眺めていました。ばかに大きな三組の朱塗りの杯で、その真中に、うちのとちがった美しい紋章が、金ではいっていました。私が一緒に眺めていると、祖母は独語のような調子で云いました。
「これはお殿様から頂いたものです。」
私はその調子がおかしかったので、祖母の肩につかまって笑いました。祖母は怪訝そうに私の方を見ました。そしてやはり同じような調子で云いました。
「大事な品ですから、覚えておくんですよ。」
「どれが一番大事なの。」と私は尋ねました。
祖母は眼をしばたたきました。
「三つとも大事なの。」
「ええ。」
その時、私は祖母をからかうつもりでいましたが、ふと、重大な問題が頭に浮びました。土蔵の中のしいんとした静けさとしっとりとした空気と、高い窓からさす空の反映の薄ら明りが、祖母と私との間の距りをなくしてしまいました。
「お祖母さん、」と私は祖母の肩に顔をくっつけて云いました、「それを一つ分けてやってもいいでしょう。」
「え、誰にです。」
「僕には、どこかに、兄弟があるんでしょう。ね、あるんでしょう。僕逢いたいんだけれど……。」
祖母はじっと、でも静に、私の顔を見ていましたが、ふいに、私を膝に抱きよせました。
「あなたは何を考えているんです。そんなことはありません。あなたには、あの亡くなった兄さんきり、兄弟はないんですよ。」
「うそ、うそ。兄弟があるんでしょう。ね、本当のことを聞かして……。」
「いいえ、兄弟はありません。……けれど、お父さんには、他《ほか》にもたくさん兄弟があります。」
私はびっくりして顔を挙げました。
「僕は知らない兄弟があるの。」
祖母は息をつめたように静かでした。眼が宙にすわって、夢をみてるもののようでした。今迄よりもずっと美しい祖母でした。
「話してあげましょう。お父さんは、お殿様のお子さんですよ。わたしが御殿につとめていました時、お胤を宿して、そのままこちらへお嫁入りしてきたのです。分りますね。だから、あなたもそれを忘れないで、立派な人にならなければいけません。」
何だか知らない熱いものと冷たいものとが、いっしょに私の心の中にはいってきました。父一人がお殿様の子供だったのか。よく
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