。それからはもう、お化が出ることもなくなりました。
 ――それだけのお話です。このお話を、私は一番はっきり覚えています。なぜだか自分にも分りませんが、昨日聞いたもののように鮮かな感銘が残っています。
 恐らくは、そのお話としっくり感じの合うような私たちの屋敷だったからでもありましょう。
 三千坪ほどの土地でした。北の隅に、根本が十抱えほどもある大きな楠が聳えていまして、その傍に榎や椋や椿の古本が並んで、それらのからみ合った根が小高い塚を拵えていて、石の稲荷《いなり》堂が祭ってありました。楠の枝葉の茂みの下に家がありました。深い井戸には、楠の白根が出ていました。
 家の前に、塀をめぐらした内庭、それから外庭。外庭の先は下り坂で、遠くの山まで見渡せました。坂の両側の傾斜面は、深い竹林で、その中に、清冽な清水のわき出る大きな池があって、黒や赤の鯉が泳いでいました。竹林の片隅に、先祖代々の墓地がありました。墓地のまわりには大きな杉が立並んでいました。そのほかいろんな大木が四方にありました。
 こうした古い家敷には、何かしら、一面に菌でも生えそうな感じがありました。どこかの隅には、お化が出る気味悪い場所もありそうでした。
 けれども、その中に点綴するいろいろな楽しみもありました。
 梅の花が咲き、桜の花が咲き、椿の花が咲きました。梅の実が大小さまざまに沢山なりました。梨の実が一日一日と大きくなっていきました。桃や枇杷が熟しました。柿が房をなして色づきました。蜜柑や金柑が至るところに微笑んでいました。椋や榎の実を食べに小鳥が群れてきました。
 それらのものの下で、私は祖母と遊びました。四季折々の草花も育てました。鶏や山羊や鳩にも餌をやりました。池に玩具の舟を浮べました。墓地一面の金色の苔の上から、落葉を拾いました。
 墓地の隅に、碑銘も何もない小さな円い石が一つ立っていました。
「あなたの兄さんのお墓ですよ。生れてじきに亡くなりましたが……。」
 祖母はそう何度かくり返して云いました。その児が生きていたら……という思いが自然と口に出るのだったでしょう。
 けれど私は、生れてじきに亡くなったその兄のことよりも、もっとほかの同胞のことに気を惹かれていました。同胞……兄か弟か姉か妹かそんなことは分りませんが、何だか私にはまだ同胞があって、それがどこかで丈夫に元気に生きている……という
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