はり以前から見馴れた俊子だった。
「おかしいぞ、」と思う心が眼に籠って、彼女の顔をじっと眺めた。眼を外らしたのを、更にまじまじと眺めてやった。
「どうしたのよ、黙ってばかりいて。」
 その方へ眼をやると、姉もまた顔を外らした。
「どうしたんです。」とこちらから尋ねてやりたいくらいだった。が、それから彼女達が、学校――二人は女子大学の同窓だった――へは十五日頃からで大丈夫だ、というようなことを話し出したのを聞いてると、少し分りかけてきたような気がした。
「今日は幾日です。」
「八日よ。」
 姉の言葉と一緒に、鼻の高い痩せ形の真白い顔がこちらへ向けられたのを見て、彼は妙にぎくりとした。頭の中がまたもやもやとしてきた。

     十一

 無理に姉へねだって夕食の時少しばかり飲んだ酒のために、彼は身体がぐったりしてしまった。寝転んでると、自分でもおかしいほど眠くなった。姉と俊子との話を音楽のように聞きながら、いつのまにか眠ったらしい。
 眼を覚すと、室の中には誰も居なかった。電灯の光りが余り明るすぎた。寝返りをしてみた――いつのまにか枕をして褞袍を着ていた。
「静ちゃん、眼がさめたの。」
 わざと返辞をしなかった。
 暫くすると、また次の室から前より低い声で、
「俊子さんもいらっしゃるから、トランプでもしませんか。」
 それでも黙っていた。俊子が帰ろうともしないで落付いてることが、食後姉と物影でひそひそ話していたことが、頭の底で気にかかっていた。
 あたりがしいんとした。
 長い時間がたったようだった。……
「そんなでもないじゃないの。」
「あなたは夜中のことを知らないからよ。」
「毎晩なの。」
「いいえ、一晩置きくらい。」
「そう。不思議ねえ。」
「親戚に精神病の人は居ないかって聞かれた時は、私どうしようかと思ったわ。」
「だって、あれくらいならまだ大丈夫よ。伯母さんやなんかに相談して大袈裟になると、却って神経を苛立たせはしないかしら。」
「それもそうね。」
「も少しそっとしておいて様子を見た方が……。」
 ……それで分った。彼はもう我慢が出来ない気がした。口惜しかった。いきなり起き上って、次の室に飛び込んだ。
 色を失った二つの顔が並んでいた。
「姉さんは、人を気狂い扱いにしてるんですね。」
 見上げてる二つの顔が瞬きもしなかった。
「私は気が狂《ふ》れてやしません
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