った風な気持に私はなって、如何にせっぱつまった仕事が控えていても、それをみな明日へ明日へと追いやって、何処へともなく出歩くのだった。凡ての人がなつかしく、凡てのものが珍しくて、私の心はにこにこ微笑んでいた。
終日遊んだり歩いたりしても、なお倦き疲れることがなかった。自分の身体がまた思いが、日の光や街路の灯に最も近しく親しかった。夜が更けても、家に帰って寝るのが惜しまれた。空は晴れてるし、夜の空気は爽かだし、街路の灯は美しいし、最後にも一度酒か珈琲か、熱いものが一二杯ほしくなって、連れの友人を無理に誘ったり、或はまた自分一人で、十二時過ぎまで起きているとあるカフェーの、明るい室にはいって行くことが多かった。
そのカフェーに、お光という女がいた。少しも美貌ではないが、何処と云って憎気のない円っこい顔をして、眼よりも寧ろ頬辺で、いつもにこにこ笑っていた。それが私の気に入った。私は日本酒や洋酒や珈琲などを、その時々の気分によって、ちびりちびりなめながら、彼女は卓子に両肱をつきながら、別に話をしたり冗談口を利き合ったりしようという気もなく、多くは遠慮のない沈黙のうちに、側目《はため》にはいい
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