になると ただ[#「なると ただ」はママ]にやにや笑っていた。人を馬鹿にしてるのか、或は全く虚心平気なのか、或は少し呆けてるのか、黙ってにやにや独り笑いをしながら、球を並べ直すのだった。その余りに無感情な中性的な笑いに、私はしまいには腹を立てて、彼との勝負を止してしまった。
その時のと、感じは違うが性質は似寄ってる笑いだった。私がじっと眺めてるのを知ってか知らずにか、彼はやはりにこにこ独り笑いをして、うっとりと空を見つめていた。その眼が、貝殼のような濁った光りではあるが、それが却って一寸美しかった。見ているうちに、私もつい引き込まれて、頬のあたりに笑いが浮んできた。そして私達は一緒になって、何という故もなく微笑み合っていた。
そこへお光が私の所にやって来た。私は彼女に真正面から微笑みかけた。彼女も頬辺でにっ[#「にっ」に傍点]と笑って応じたが、その顔をすぐに引締めた。
「何だか変でしょう。」
声を低めた調子がただごとでなかった。
「何が。」
隈取った小さな眼を無理に大きく見開いて、肩の影から指先で、彼方の青年をさし示した。
「どうかしたのかい。」
「ええ。……そして、あんなに一人でにやにやしてて、どうも可笑しいのよ。」
「なあんだ、そんなことか。それじゃ僕も今にこにこしてたから、変なののお仲間だね。君だってよくにこにこしてるじゃないか。」
云われてからにっこり笑ったが、またすぐに真顔になった。
「いいえ、ほんとに変なんですよ。先刻《さっき》ね、一人で酒を飲んでるうちに、ふいに大きい声で泣き出してしまったのよ。他にも七八人お客さんがいたのに、その人前も構わずに、随分長い間泣いてたのよ。はたから何と云っても、まるで聾のように返辞一つしないで、ただしくしく泣いてるんでしょう。弱っちゃったわ。それから、こんどはあんなに、にやにや独り笑いをしだして、その笑い方がまた変なんでしょう。気がどうかしたんじゃないでしょうか。」
「だって、ここへ時々来る人だろう。」
「ええ、何度かいらしたわ。それに今から考えると、いつもにやにやしてて、何だか普通と違ってたようなんですよ。」
「じゃあ狂人《きちがい》かね。」
「だと困るわ、気味が悪くて……。」
「なに大丈夫だ、狂人だったら僕が引受けてやる。笑い上戸の狂人なんか僕は大好きだよ。その代り熱いのをも一本頼むよ。……あ、もう一時だね。じきにおしまいにするよ。」
「いえ、まだいいのよ。」
お光が向うに行って、他の女達に何やら囁いて、銚子を取りに奥へはいっていった間、私は煙草に火をつけて、かるく煙を吐きながら、青年の方をじっと眺めやった。すると彼も私の様子を見て取って、さも友人にでもめぐり逢ったかのように、露わににこにこ笑いかけてきた。私も仕方なしににっこりとしてみせた――というより寧ろ、彼の笑いに引入れられたような工合だった。そして一寸、後の始末がつかないといった風な、変梃な時間が続いたが、その時、ぼーんと一つ彼方の天井下で、掛時計が一時を打った。
助かった、という気持で私は眼を外らして、時計の方を仰いだが、その瞬間に、彼は立上って、よろよろした足取りで私の方へやって来た。
「暫くでした。」
何の奇もない普通の挨拶だった。
「暫く。」と私も機械的に応じた。
「其後如何です。」と彼は重ねて云った。
「え。」
「球《たま》は……。」
よく覚えてるな、と私は思って、ただ笑みを浮べたが、彼はもうにこにこ笑いながら、私と向合って腰を下ろしていた。
「これから二三ゲームやりに行きましょうか。」
「でも、もう一時だから。」
「そうですね。」
事もなげに答えてから、彼はまたにこにこしながら私の方をじっと見つめてきた。
私は変に気圧《けお》された心地になって、てれ隠しに煙草を吸い初めた。そこへ、お光が銚子を持ってきた。
彼女はいつにない鹿爪らしい顔をして、二三歩離れた所につっ立って、不思議そうに私達の様子を見比べた。
「まあ坐ったらいいじゃないか。」
返辞に迷ってる彼女の様子を見て、私は急に一瞬前の気まずさから脱して、却って可笑しな愉快な気分になった。
「おい杯をも一つくれよ。この人は僕の旧友だったんだ。それを今思い出したってわけなんだ。」
「杯ならありますよ。」
そう云って彼は無雑作に立上って、初めの自分の席から杯と飲み残しの銚子までも取って来た。その間に私はお光へ云った。
「大丈夫だよ、黙ってるから……。」
笑っていいか取澄ましていいか分らなそうな顔付をして、お光が私達の側に腰を下ろすと、私は向うの女達へも呼びかけた。
「おいみんな来てごらん。隅っこに引っこんでばかりいないで。」
エプロンをつけた四人の女達が並んだ中で、彼はにこにこしながら黙って酒を飲み初めた。が不意に、唄を一つ歌おうと云
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング