の特殊な修練と緊張とがない限り、人は形態に対しては案外無頓着なように思われる。これについては、夢を顧みれば分る。頭の中に最もはっきりしてるのは、種々の感情や感覚であって、最もぼやけてるのは物の形態である。形態の明瞭な夢の絵というものがもしあるとすれば、それは恐らく夢の註釈の絵であって、夢そのものの絵ではないだろう。文字に書かれた夢が多くは夢の註釈或は説明であるのと、同様である。
 こういうところに第一の困難がある。更に第二の困難は、文字――言葉――を以て形態を云い現わすことにある。眼の底にはっきり映り頭にはっきり刻みこまれてる愛人の顔付を、言葉で云い現わそうと試みたらよかろう。この困難な仕事を、低俗な写真やスケッチ以上によく成しとげ得る者が、幾人あるだろうか。
 更に第三の困難は、形態を通じて形態以上のところへつきぬけることになる。ボルコンスキー公爵夫人の上唇やそのむく毛の域にまで出てゆくことにある。――この最後の芸術的秘奥に於ては、文学者も美術家も同じであろう。それはロダンのバルザック像のようなものである。
 この第三の至高な問題は別としよう。第一の通俗な問題も措くとしよう。私に興味
前へ 次へ
全6ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング