その友人は、急性腎臓炎で、十日ばかり病院にはいっていたが、経過がよくなく、遂に心臓麻痺で死んだのだった。
 前日から容態が険悪だったので、その晩見舞に行って、夜通しついていてやった。病室には、郷里から出て来た母親と伯父と、看護婦きりだった。
 尿毒症の昏睡状態から、暫く軽い狂燥状態が続いて、それから夜中の三時頃、心臓麻痺でやられてしまった。
 伯父は夜明けに出かけていった。後の三人は病室の片隅に黙然と坐り続けていた。涙を流しつくした後の、呆然とした顔付だった。
 拭き清められて白い布に被われた死体は、寝台の真中に横臥していた。胸部も腹部も薄べったくなって、空気のぬけたゴム枕のように見えた。がじっと見ていると、今にもその胸のあたりがふくらんできて、ほーっと息をつきそうに思えた。いや現に、かすかに息をしているようだった。
 苦しいだろう……というような気持で立っていって、顔の白布を一寸取りのけてやった。瞬間に、凡てがしいんとなって、死体は薄べったく静まり返った。眼が落ち凹み、鼻が尖り、唇が歯にくっついて閉じていた。すっかり色艶を失った顔全体に、何だか蜘蛛の[#「蜘蛛の」は底本では「蛛蜘の」]糸ででも出来てるような、あるかなきかの半透明な膜が被さっていた。額に手をやると、骨のしんまで伝わってくる底知れぬ冷さだった。
 けれども、顔に白布を被せて、少し遠退いて眺めていると、やはり、死体は今にもほーっと息をしかかってるかのように見えた。母親もじっとその方を眺めていた。
 そして長い時間がたっていった。何かをしきりに考えているようなまた何にも考えていないような、忘我の気持に落ちこんでいった。それからふと気がつくと、いつのまにか、東の窓掛の隙間から、赤々とした光がさしていた。見るまにそれが輝かしい光線となって、室の中を横ざまに流れた。
 嘗て見たこともない赤い晴々とした光線だった。それが、陰気にむすぼれ淀んだ病室内の空間に、くっきりと浮出して、東の窓掛の隙間から西の壁の面へ、横ざまに流れていた。その下の暗がりに、死体は静に横たわっていた。もう息をしそうにもなく、固くこわばってしまっていた。
 全く死んでしまったのだった。死んで消えてしまったのだった。其処に横たわってるのは、もう彼ではなく、ただ骨と肉との冷たい物質だった。その上の空間に、一筋の朝日の光だけが、如何にも晴れやかに輝かしく、くっきりと浮出していた。
 窓掛を開くと、ぱっと朝日の照ってる爽かな明るみだった。

「なぜ泣くんです。」
「………」
「泣いちゃいけません。笑って下さい……。あなたには、笑顔が一番ふさわしい……。」
「そして、あなたにも……。」
「え、本当ですか。」
「ええ。」
「わたしはこの通り微笑んでいます。」
「あたしも。」
「笑いましょう……。いつまでも微笑み続けましょう。ね、二人で……。」
「あたし……何だか……眼がくらむような……。」
「余り日が照ってるからです。余りぎらぎらした光が強過ぎるからです。けれど……ね、いいでしょう。」
「ええ、どんなことがあっても……。」
「どんなことがあっても……。」
「あたし、いつも笑ってるわ。」
「そうです。」
「あら、あなたは、涙ぐんで……。」
「いいえ、何でもないんです。嬉しいんです。」
「もう何にも考えないの。」
「そして……ただ一つだけ……。」
「ええ、一つだけ、ただ一つだけよ。」
「………」
「ねえ、歩きましょう。あたし、じっとしてると、何だか恐い気がしてきたの。日向を歩くの……丘の上をぐるぐる歩き廻るの。」
 じりじりと真夏の日が照りつけていた。どこを見ても、眼が眩むほどぎらぎらしていた。遠くに海が光っていた。



底本:「豊島与志雄著作集 第二巻(小説2[#「2」はローマ数字、1−13−22])」未来社
   1965(昭和40)年12月15日第1刷発行
初出:「女性」
   1925(大正14)年9月
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年11月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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