かくとすれば、舞台にのぼるかのぼらないかは問題としないで、小説と同じように読者に提供していい訳ではないだろうか。
僕は今まで、現代劇ばかりを、と云っても五つ程しか書かないが、史劇に筆をそめたことがなく現代劇ばかりを書いて来た。史劇を書きたくないことはないけれど、前云ったように、戯曲を書くには、一つのコンクリートなはっきりしたイメージが必要であるから、歴史ものに対しては、まだ中々入り得られない。詳しく云えば、作中の事件と人物と心理とは、はっきり頭にうかび得るように思われるけれど、それに第二義的なものをくっつけると、なお云えば、服装、言語、習慣、環境、などをくっつけると、どうもはっきり一つの纒ったイメージにならない。完全に昔のその時代通りのものが解れば問題はないけれど、言語や服装なんかがどうしても頭にはっきり浮んで来ない。けれどもそう云うものをすべて無視して、そうして考えれば、考えられないこともないけれど、まだそこまで、戯曲に馴れないせいかなかなか入って行けない。或はそこまで入り得られたら歴史ものを材料にした、いわゆる拡い意味の史劇を書く気になるかも知れない。
以上、僕の云ったのは、単に作者としてのお話しをしたのであって、批評家としての立場に立てば、もっと色々異った意見も出て来るかも知れない。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2005年12月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング