をみつけて、とても駄目だというのを無理に押しつけ、九段あたりまでなら大丈夫らしいので、万一の用心に飯田町暁星中学のフランス人エック先生に紹介の名刺を書き、出来るだけ三年町のベルギー公使館まで突破することを頼んで、十円紙幣二枚と共にベルギー婦人を託した。
戦後の混雑を想像させる街路を、私は弁当や菓子の包みをかかえながら、夢心地で急いだ。どこも焼けてはいなかった。住宅地域はひっそりしていて、私の家は更に静まり返っていた。二階も階下も雨戸がしまっていて、玄関の戸が二三寸閉め残してある。その戸を引あけて中にはいると、人の気配もなくて薄暗く、声をかけるとニャアーオと飼猫がのっそり出て来た。
私は隣家へ様子をききに行った。「まあ!」といったきり、そこの奥さんは暫く私の顔を見た。――一日二日と、家主さんの庭で野宿をしたので、四歳になる末の子が軽い大腸カタルを起したらしい。そこで、妻はかねて懇意な小児科医の宇都野研氏のところへ見せに行き、丁度病室もあいてたので、病児を主に、妻自身と他の二人の子供とはついでに、一家そろって昨日入院してしまった。「さきほど女中さんが病院へいらしたところです。」
き
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