生きるために先ず偶像を破壊しなければならない。新らしく偶像を作るはいい、古い偶像に新らしい生命を盛るはいい。然し乍ら、不用な偶像は必ず破壊しなければいけないのだ。
 偶像の後ろにずるずると引きずられてゆく人が常にある。それは偶像が悪いのではない。引きずられるのが悪いのだ。破壊しないのが悪いのだ。たとえその方向がいいにしろ悪いにしろ、その時人は堕落するからだ。
 吾々日本人は今まさに新らしく出立しなければならない時期に逢着している。古い偶像が用を為さなくって、吾々の心のうちに大きい穴が出来ているからだ。そしてその空しい穴を充たすべき新らしい偶像がまだうち立てられていないからだ。誰でも自分の内心を深く顧みるがいい。其処に空虚な大きい穴を見出さないものは、偉大なる先駆者かもしくは矮小なる愚人かだ。其処に祈らないでは居られないものと而も祈るべき対象の無い寂寥とを見出さないものは、精神的囚人かもしくは痴人かだ。更に眼を挙げて周囲を見廻すがいい。そして吾が同胞の国民性は何かと探し求める時、先ず吾々の眼に映ずるものは、皆卑小な浅薄な小怜悧なものか、もしくは痛ましい過去の残骸のみではないか。
 然しながら、吾が国民性のうちにも、底に隠れてむくむくと動いているものが感じられるではないか。大きいもの深いもの真に人類的なるもの、その種子は吾々のうちにも下されているのだ。現に方々にその小さい蘗が芽を出しかかっているではないか。唯真に根本の大きい芽が頭を出していないだけだ。それは古い偶像の灰の下に埋もれているからだ、そして輝いた太陽の光が遮られているからだ。
 自分の魂を開放しなければいけない。赤裸々にならなければいけない。実感に帰らなければいけない。そして初めからも一度ふり返ってみて新たに出発しなければいけないのだ。
「長い間私はこの不思議な考えになじむことが出来なかった、即ち、キリスト教の信仰が数限りなき人々によって告白せられた十八世紀間の後になって、数限りなき人々がその生涯をこの信仰の研究に捧げた後になって、私は何か新らしい事のようにキリストの法則を発見することにかかったのである。然しそのことが如何に不思議であったにしても、正にその通りであったのだ。」これはトルストイの告白である。
 然しながら私は必ずしもトルストイの到着した結論に賛するものではない。唯私が茲に言いたいことは、その出立
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