っています。後で何かの役に立つかも知れないと思いまして。」
「それはいいことをなさいましたね。河野君も喜ぶでしょう。病中の実感は後でふり返っても、なかなかよくは浮ばないものです。その時の直接の感じが一番尊いものです。」
「でもごく少ししかありませんのよ。あなたにならお目にかけても宜ろしいんですけれど、河野はいつも、書きかけのものを人に見られるのが嫌いなものですから、どうか悪く思わないで下さいな。」
「なに、それが本当ですよ。誰だって書き捨てたものを人に見られるのは嫌なものです。」
彼はふと会話の跡をつけるのを忘れて、一人考えに沈んだ。いつか書き捨てた自分の文句が、俄に頭に蘇ってきたからである。
――病者を憐れむは健康者の自由である。健康者に反抗するは病者の自由である。然し……健康者が病者に何かを与え、病者が健康者から何かを受くる時、その感激は前の自由に対して如何なる意味を齎すか?
それは、この前の土曜日に瀬川が訪ねて来た後の走り書きであった。その日彼は珍らしく気分がよかった。気管支加答児の方は殆んどよくなったと医者から告げられていた。朝食の膳に向うと、粥のわきに少し赤の御飯が添え
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