。その姿を見ると、彼は急に狼狽したような気持ちになって、また床の中にはいった。
「こんなに早くから起きてたりなんかして、大丈夫なのかい。」
「うむ、もういいんだ。それに僕にとっては早朝でもないんだからね。」
 瀬川は縁側《えんがわ》から上って来た。
「海に行って来たがいい気持ちだね。君も外を歩けるように早くなり給えな。」
 瀬川は頬に生々《いきいき》とした血を通わして、喫驚《びっくり》したような大きい眼をしていた。
「君、今日は晩までいいんだろう。」と彼は云った。
「いや、いつも余り長く邪魔《じゃま》してもすまないから……、それに今日は少し用もあるので、九時ので帰ろうかと思っている。」
「然し大した用でもないんだろう。」
「大した用というほどでもないが。」
「ではせめて昼御飯でも食べていってくれないか。僕は一人で淋しすぎる位淋しいんだから。僕は黙ってるかも知れないが、それでよかったら、せめて午頃までこの室に寝転んでいってくれない?」
 瀬川は黙って彼の方を見た。
「黙っててもいいんだろう。」
「ああそれの方がいい。」と瀬川は云った。「昨日《きのう》は君が何だか苛々してるようだったから、僕は一人心配してたんだよ。黙ってるなら午《ひる》までいよう。僕はこの縁側で日向ぼっこしながら、雑誌でも読むとしよう。」
「ああそうしてくれ給えな。」
 彼はそれで凡てが、まとまりもないただ凡て[#「凡て」に傍点]が、よくなるような気がした。そして親しい瀬川の顔を見ると、何となく力強くなるような気がした。



底本:「豊島与志雄著作集 第一巻(小説1[#「1」はローマ数字、1−13−21])」未来社
   1967(昭和42)年6月20日第1刷発行
初出:「太陽」
   1920(大正9)年1月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:松永正敏
2008年10月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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