われてきて、自分の病気に重大な関係があるらしい暗示を残したまま、遠くへ去ってしまったのである。彼はそのことをあれこれと推測しながら、一方では妻と瀬川との会話に耳を傾けていた。然し会話は途切れ勝ちに種々のことに飛んでいって、いつまでたっても馬の上に戻って来なかった。彼はそのままじっとしているのが苦しくなった。然し今急に眼が覚めたような風を装うのも、何となく憚られた。
隣室の会話はなお続いていった。
「……実際ここは気持ちが宜ろしいですね。こんな処に居れば病気なんか自然に治ってしまいます。私も、伺う度毎《たんび》に余り長くは御邪魔すまいと思いながら、来てしまうとつい泊っていったりなんかして、お見舞に上るのだか遊びに来るのだか、自分でも分らない位です。」
「初めからお遊びのつもりでいらっしゃればいいではございませんか。こちらへ越して来てから、訪ねて下さるお友達も少いので、河野も非常に淋しがっております。私もあなたに来て頂くと、何だか力強いような気が致しますの。あなたがお帰りになると、河野はいつも黙り込んで淋しそうにしていますし、私はまた何となく頼り無いような気持ちになって、家の中が急に陰気になりますのよ。」
「それでは折角御伺いしても、差引零になるわけですね。」
「ええ、だからなるべく長くいて下さらなくてはいけませんわ。今日もお泊りなすって宜ろしいんでございましょう。」
「そうですね。河野君の気持ちがよかったら……。」
「是非そうして下さいね、河野も喜ぶでしょうから。この節では、病気が少しよくなったようですから、早く元の身体になって長い物を一つ書きたいと、始終申して居りますの。いくらとめても、原稿用紙を枕頭から離さないで、何か二三行書いては考えていますのよ。でもやはり頭に力がないと見えて、その紙を破きすててはまた寝てしまいます。」
「今からそんな無理をしてはいけませんね。」
「ですけれど余り気に逆っても悪いと思いまして、私は傍についていながらどうしていいか困ってしまいますの。」
「それはお困りでしょう。私からも、暫くは静にしているように勧めてみましょうか。」
「ええどうぞ。」
「そして河野君はやはり小説でも書こうとしているのですか。」
「何だか感想みたいなものですの。書いてはすぐに破きすてますから、私にはよく分りませんけれど、つぎ合わして読めるようなものは、私そっとしま
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