銀の笛と金の毛皮
豊島与志雄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)木立《こだち》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)たてがみ[#「たてがみ」に傍点]
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      一

 むかし、あるところに、エキモスという羊飼いの少年がいました。父も母もないみなし児で、毎日、羊のむれの番をしてくらしていました。
 青々とした野原に、羊たちはたのしくあそんでいます。野の花のあいだに、うつくしい蝶がとびまわっています。木立《こだち》のなかや空たかくに、いろんな鳥がさえずっています。日がうららかにてっています。
 エキモスは草の上にねころんで、歌をうたいました。口笛をふきました。草の葉でいろいろな笛をこしらえました。葦《あし》の茎《くき》でも笛をこしらえました。
 ――自分も、あの小鳥のようにうたいたい。けれども、いくらうたっても、笛をふいても、小鳥にはおよびませんでした。
 そのうちに、ある日エキモスは、葦のしげみのなかに、まっ白な葦を一本みつけました。太くてまっすぐにのびて、白く銀のように光っています。エキモスはめずらしさに、しばらくぼんやりながめていましたが、ふと、かんがえました。
 ――あれで、笛をこしらえたら……。
 すぐに、ナイフで、その葦《あし》をきりとって、笛をこしらえました。そしてふいてみました。が、少しもなりません。葦笛はただ銀のようにひかっているだけでした。
 エキモスはがっかりしました。けれども力をおとしませんでした。次の節《ふし》でまた笛をこしらえました。がそれもなりませんでした。
 三つ、四つ、五つ……いくら笛をこしらえても、どれ一つとしてなるものはありませんでした。けれど、笛がならなければならないほど、エキモスはなお一生けんめいに、笛をつくりました。今にすばらしいのができる、とそんな気がしました。
 とうとうさいごの一節になりました。それでだめだったら、もうまっ白なめずらしい葦もなくなってしまうのです。
「おう、神さま!」
とエキモスはさけびました。あらんかぎりの心をこめて、さいごの笛をこしらえました。そしてこわごわ、ふいてみますと……。
 エキモスはおどり上がりました。うれしさに涙ぐみました。なります、なります。なんともたとえようのない美しい音《ね》がします。
 エキモスは涙をながしながら、銀色に光るその葦笛をながめました。そしてまた口にあてました。ふきならしました。なんという美しい音でしょう。小鳥のさえずりにもまけません。
 エキモスは笛をうちふりながら、野原のなかをかけまわりました。それから森のはずれの木かげにねころびました。そしていろんな歌をむちゅうになってふきつづけました。
 するうちに、ふと、気がつくと、羊たちがいつのまにかあつまってきていました。木の上には、多くの小鳥がじっととまっていました。エキモスはほほえみました。羊や小鳥があつまってきて、自分の笛をきいていてくれることが、とてもうれしかったのです。
 ところが、羊と小鳥だけならよいが……。エキモスはびっくりしてとび上がりました。森の中に、どこから出てきたのか、猿《さる》や、狼《おおかみ》や、狐《きつね》や、野兎《のうさぎ》や、鹿《しか》や、獅子《しし》や、鷹《たか》や、鷲《わし》など、いろんな鳥や獣《けだもの》が、あちらこちらにうずくまっているのです。
 エキモスはどうしていいかわかりませんでした。ことに狼や獅子にはびっくりしました。羊や自分も食われてしまうかもしれません。彼はもう笛のこともわすれて、あとずさりしながら、羊のむれのなかににげこみました。がそのおそろしい獣たちは、じっとうずくまったまま、おっかけてはきませんでした。やさしい眼をして見おくっているだけでした。
 エキモスは鈴をならして、羊のむれをつれて小屋へかえっていきました。
 翌日、エキモスはまた羊のむれをつれて、野原にでました。おそろしい鳥や獣はいませんでした。エキモスは安心して、羊たちを野原のなかにちらばして、自分は木かげにやすんで、白い葦笛《あしぶえ》をふきはじめました。とても自分がふいているのだとはおもわれないほど美しい音《ね》でした。天からひびいてくるような歌でした。
 そのうちに、笛の音をききつけて、羊たちは近くにあつまってきました。小鳥たちもとんできました。みんなだまってきいています。それからなお、森のおくの方から、いろんな鳥や獣《けだもの》がでてきました。狼《おおかみ》や獅子《しし》のようなおそろしいのもでてきました。がエキモスはさほどおどろきませんでした。ただ笛をききにでてきたのだということが、そのようすでよくわかりました。
 獣のうちに、五六ぴきの鹿《しか》がいました。大きな角《つの》の頭をかしげて、笛にききいっています。そのまんなかに、ひときわ大きいのが一ついて、角のかわりに獅子のようなながいたてがみ[#「たてがみ」に傍点]がはえ、全身の毛が金色に光っていて、眼が青々とすみきっていました。
 その金の毛の大きな鹿には、エキモスもびっくりしました。そんな鹿は、これまでみたこともなければ、話にもきいたこともありません。エキモスが笛をやめて、うっとりみとれますと、鹿はその青くすみきった眼で、わらっているようでした。
 エキモスは鹿のそばにやっていきました。金色のふさふさしたたてがみ[#「たてがみ」に傍点]をなでてやりました。鹿はうれしそうにすりよってきます。エキモスが笛をふきだすと、鹿はそばにすわってききいっています。そうして、エキモスと金色の鹿とは、いちばんなかのよいともだちになりました。
 エキモスにとっては、何もうれしいことばかりでした。白い葦笛《あしぶえ》はいくらふいてもあきません。笛をふくと多くの鳥や獣がそれをききにでてきます。みんな仲よくして、ただ笛をきいているだけです。そのなかで、金色の鹿が王さまのように光っています。エキモスはいつもその鹿とつれだってあるきます。夕方になると、獣たちは森のおくに、鳥たちは空たかく、そしてエキモスと羊たちは小屋に、それぞれかえってゆくのです。毎日うららかに日がてって、野にはいろんな花がさいています。
 ところが、ある日、金色の鹿がすがたをみせませんでした。ほかの鳥や獣はでてきましたが、金色の鹿《しか》だけは、エキモスがいくら笛をふいても、夕方までまってもでてきませんでした。
 その翌日も、金色の鹿はやはりでてきませんでした。エキモスは心配になりました。それからかなしくなりました。もう笛をふく気もしませんでした。――金色の鹿はどうしたろう! エキモスはそのことばかり考えました。

      二

 金色の鹿がでてこなくなってから三日目の朝、エキモスはもう何のたのしみもなく、ただいつもの仕事をして、羊のむれをつれて野原にでました。葦笛《あしぶえ》をふく気にもなれませんでした。
 すると、エキモスがやってくるのをまちうけてでもいたかのように、多くの鹿が森からかけだしてきました。そのうちの一つが、エキモスの上衣《うわぎ》のはしをくわえて、しきりに森の方へひっぱります。
 何か用があるんだな、とエキモスは思いました。といっしょに、金色の鹿のことが胸にうかびました。もうじっとはしていられません。羊のむれをそこにのこして、鹿につれられて森のなかにはいっていきました。
 森のおくふかくなると、人のとおった道もありません。それに、崖があったり坂があったりします。エキモスは一生けんめいに歩きましたが、やがてつかれてきて、足がうごかなくなりました。すると、大きな角《つの》のはえた鹿が、エキモスの前にかがんで、背なかをさしだしました。エキモスはその背にのって、しっかと角にしがみつきました。鹿は走るように早く歩きだしました。
 うちひらけたところにでたり、森にはいったり、坂をのぼったり、谷川をわたったりしました。どれくらいきたのかわかりませんが、山ふかいところで、ふいに、谷川のそばの平地にでました。やわらかな草がいちめんにはえて、何ともいえぬよい香りの花がさいています。そしてたくさんの鹿《しか》がでむかえています。
 その平地のおくの、崖《がけ》の下のところに、エキモスは鹿の背からおろされました。
 みると、すぐそこの、草の上に、あの金色の鹿がよこたわっていました。エキモスは声をたててかけよりました。
 金色の鹿は、そこによこたわったまま、身うごきも出来ませんでした。とぎれとぎれに、かすかな息をして、じっとエキモスの方をみているだけでした。しらべてみますと、肩のあたりから血が流れています。鉄砲でうたれたらしいんです。もうてあてのしようもありません。死にかけているんです。
 エキモスはかなしさに涙ぐんで、そのそばにすわって、膝《ひざ》のうえに頭をのせてやりました。鹿はうれしそうに眼をつぶりました。エキモスは、その獅子《しし》のようにながいたてがみ[#「たてがみ」に傍点]をなでてやりました。それから白い葦笛《あしぶえ》をとりだして、さいごのわかれにふいてきかせました。
 エキモスが心をこめてふく葦笛は、とてもいいあらわせない美しいひびきをたてました。谷川の水も、しばらくながれやんで、ききいりました。
 エキモスが笛をふきやめると、もう、金色の鹿は死んでいました。
 エキモスはそのまま、ながいあいだすわっていました。それから、金色の毛皮をすこし、かたみに切りとりました。そして死体を、そこの崖の下にうずめてやりました。
 エキモスが帰りかけると、また、多くの鹿《しか》がおともをして、角《つの》の大きな鹿がエキモスを背なかにのせてくれました。そして、崖《がけ》や坂や谷川や森をこして、もとの野原にもどってきました。
 羊のむれは、しずかに草をたべています。蝶はとんでいます。小鳥はさえずっています。けれど、エキモスは気がはれませんでした。金色の鹿のかたみの毛皮で、だいじなものをいれる袋をつくって、腰《こし》にさげましたが、かなしさはまぎれません。笛をふく気にも、とてもなれません。
 ――だれが、あの鹿を、鉄砲でうったんだろう。
 そう考えると、くやしかったり、さびしかったりして、どこか旅にでもでてしまいたくなりました。羊たちもかわいいけれど、金色の鹿が死んだかなしみの方が、もっとつようございました。
 エキモスはついに決心して、主人のところへいって、ひまをもらいたいと願いました。
 主人はエキモスをひきとめたがりました。けれど、その話をきき、そのかなしみと決心とをみて、願いをゆるしてくれました。
「それでは、都でも見物してくるがよい」と主人はいいました。「都にはいろいろおもしろいことがあるから、気がはれるかもしれない。けれど、おもしろいのはうわべだけで、ずいぶん悪い人が多いから、気をつけなければいけないよ。そして、また戻ってきたくなったら、いつでも戻っておいで、使ってあげるから」
 エキモスはお礼をいって、主人からもらったお金を毛皮の袋にいれ、白く銀色に光る葦笛《あしぶえ》をもって、ほかにはなんの荷物もなく、つれもなく、ぼんやりでかけました。
 だいぶいってから、エキモスは、道ばたの木かげに休みました。そしてはじめて、どちらへいったものかと考えました。主人がいうように、都へゆくのもいいかもしれないと思いました。
 ――だが、都へゆけば、お金がたくさんいるだろう。これだけでたりるかしら。
 エキモスは皮袋《かわぶくろ》をひらいて、主人からもらったお金をかんじょうしかけました。そしてびっくりしました。皮袋のなかのお金は、みんな金貨ばかりでした。でも、そんなはずはありません。主人からもらった時はたしかに、銀貨や銅貨もまじっていました。それが、みな金貨ばかりになっているのです。
 エキモスにはわけがわかりませんでした。ふしぎそうに皮袋をながめました。
 ――もしかしたら、あの金色の鹿《しか》の毛皮だから……。
 ためしに、道の小石をひろって、皮袋にいれてみました。とりだしてみると、それが、
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