の容器に金魚を二匹入れ、上から新聞紙で包み、それを紐でぶら下げ、三円七十銭という驚いた価を払って、金魚屋から出てきた時、彼は陰鬱な気分に閉されてしまっていた。胸がむしゃくしゃしながら、心が滅入っていた。何のために金魚を買ったのか分らなくなった。日が西に傾いて、街路の空気が妙に慌しかった。彼は渋面をしながら、重い金魚入れを下げて、足を早めた。
下宿までは可なり遠かった。電車は込み合っていた。漸くのことで電車に乗ると、ぎっしり人込みの中に挟み込まれてしまった。金魚のことが気にかかった。然しどうにも仕様がなかった。片手で吊革につかまりながら、片手でやたらに肱を張って、金魚入れをかき抱くようにした。
無事に下宿の近くの停留場まで来ると、大きな金魚入れを下げては中々降りられなかった。まごまごしているうちに電車は動き出した。
「下りるよ、下りるよ、」と彼は叫んだ。「降りますか、お早く願います、」と車掌は云いながら、強く鈴の綱を引いた。電車は急に止った。ごとんと反動が来た。彼は人並に揺られて、金魚入れを落してしまった。硝子の容器が壊れた。水がぱっと飛び散った。立込んだ人々は、驚いて一時に飛び上っ
前へ
次へ
全9ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング