前で、男の方はキシさん、少女のほうはチヨ子と、言われていました。
そのうちにお話してあげます、と、奥さんはそう言うきりで、意味ありげに、微笑《ほほえ》むのでした。
二人とも、あまり外に出ませんでした。それを、太郎はよく誘い出しました。
広い松林《まつばやし》が、庭にとりこんでありまして、そこで気持ちよく遊べました。チロも一緒に遊びました。三人ともチロを大変かわいがりました。
それにまた、太郎はキシさんから、馬に乗ることを教わりました。厩《うまや》に馬が二|頭《とう》いまして、キシさんはその一頭を引き出しては、いろんなことを教えてくれました。何でも知っていました。えらい人のようでした。
ところが、ある日の夕方、松の梢《こずえ》に小鳥の巣を探しながら太郎が歩きまわっていますと、向こうの、椿《つばき》の茂みの陰から、彼を呼ぶものがあります。行ってみると、キシさんでした。
「太郎さん、これ、よくできた、ね」
どこから取ってきたのか、ねばねばした赤土で、大きな猫をこしらえてるのでした。手を泥だらけにして、にこにこ笑っていました。金貨と銀貨とが一枚ずつ、両方の目に入れてあります。
「金の目……銀の目……ね、よくできた」
そして彼は、さも大事らしく、声をひそめて言いました。
「あなたとチロのおかげで、お嬢さん元気になった。私うれしい。これから、だんだん、願いごとかなう」
「願いごとって、なあに?」
と、太郎はたずねました。
「それ、大事なこと……まあ、見ていてください。この猫、生かしてみせます」
そして彼は、赤土の大きな猫の前に屈んで、両手を胸に握り合わして、何か口の中で唱えました。しばらくすると、急に立ち上がって、両手を頭の上にさし上げ、それからまた屈んで、頭を垂れ、両手を組み、そんなことを何度もくり返し、そしてじっと猫の方を見つめました。
「それ、生きた、動いた。ね、動いた」
太郎は、ばかばかしくなりました。赤土の猫が生きて動く……そんなばかなことがあるものですか。
「動きなんかしないよ」と、太郎は言いました。
「よろしい。今度は動く」
キシさんはまた、前のようなことをくり返しました。禿《は》げた頭が赤く、顔も赤くなって、一生懸命にやっています。もう、うす暗くなりかけていて、松林の中はしーんとしています。じっと見ていると、赤土の猫が……じりじり、前のほうに
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