をずいぶん探した。疎開や戦災でわたしたちが転々した後のことだ。そしてこの高原で、わたしたちの居所を突き止めた。戦死なさったお兄さまのことなど、小野田さんは初めから識らないし、いろいろな手段は、ただ、お姉さまの身分を確かめるためだった。ところが、お姉さまが病気なので、高須さんの頼みを伝えることが躊躇され、牛乳運びなどでごまかしていた。今日は逆に取り押えられて、事実を伝え、写真を返した。お姉さまは自分の写真を引き裂き、卒倒なさった。
 わたしは黙ってその話を聞いた。何とも言えなかった。何の悲しみも感ぜず、ただ、わけの分らぬ大きな深い憤りを感じた。
 お姉さまは高熱が出て、転地どころではなかった。野島先生のところの小さな病院にはいり、そして十月末にお亡くなりになった。その間、わたしは自分の憤りの念で、お姉さまの命を庇おうとした。その甲斐もなかった。小野田さんには、お姉さまは逢いたがりなさらなかったし、わたしもお逢わせしたくなかった。
 わたしはいろいろのものを見落していたようだ。それについての憤りもある。わたしは小野田さんを憎む。あのひとは本質的にはまだ軍人だ。軍馬種族だ。それについての憤り
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