をずいぶん探した。疎開や戦災でわたしたちが転々した後のことだ。そしてこの高原で、わたしたちの居所を突き止めた。戦死なさったお兄さまのことなど、小野田さんは初めから識らないし、いろいろな手段は、ただ、お姉さまの身分を確かめるためだった。ところが、お姉さまが病気なので、高須さんの頼みを伝えることが躊躇され、牛乳運びなどでごまかしていた。今日は逆に取り押えられて、事実を伝え、写真を返した。お姉さまは自分の写真を引き裂き、卒倒なさった。
わたしは黙ってその話を聞いた。何とも言えなかった。何の悲しみも感ぜず、ただ、わけの分らぬ大きな深い憤りを感じた。
お姉さまは高熱が出て、転地どころではなかった。野島先生のところの小さな病院にはいり、そして十月末にお亡くなりになった。その間、わたしは自分の憤りの念で、お姉さまの命を庇おうとした。その甲斐もなかった。小野田さんには、お姉さまは逢いたがりなさらなかったし、わたしもお逢わせしたくなかった。
わたしはいろいろのものを見落していたようだ。それについての憤りもある。わたしは小野田さんを憎む。あのひとは本質的にはまだ軍人だ。軍馬種族だ。それについての憤りもある。わたしたち、お母さまもお姉さまもわたしも、まだ甘っぽい赤ん坊だ。ミルク種族だ。それについての憤りもある。ああ、わたしは腹が立つ。お姉さま。
底本:「豊島与志雄著作集 第五巻(小説5[#「5」はローマ数字、1−13−25]・戯曲)」未来社
1966(昭和41)年11月15日第1刷発行
初出:「思索」
1949(昭和24)年11月
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年11月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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