になりたいと思ったんですけれど、やはり駄目ね。」
「何が駄目だい。」
「私ね近いうちに此処を出ようかと思ってるの。」
「そしてどうするというんだい。」
「どうするって、そりゃあね……どうでもいいんですわ。そうしたらあなたの処へも一度お伺いしたいわね。」
「ああ遊びにおいでよ。御馳走は出来ないがね。」
「ほんとにいいんですか。お邪魔ではなくって?……でも村上さんやなんかお友達が始終いらっしゃるんでしょう。お目にかかるといやね。」
「そんなにいつも来やしないよ。」
「そう。では屹度お伺いするわ。私あなたの下宿はよく知ってるから。」
 それきり一寸言葉がと切れた。そして妙に落ち付きのない沈黙が続いた。
「おやもう乾いてしまったんですね。」とおたか[#「たか」に傍点]は急に思い出したように松井の着物に触ってみた。それから「おお熱い!」と云いながら立っていって窓を開けた。
 何時のまにか暴風雨は止んで、細い雨が降っていた。それでも庭の中には木の葉や紙屑が落ち散って、その上にしとしとと一面に雨が音もなく降濺いでいた。おたか[#「たか」に傍点]は外をじっと眺めながら、火に熱《ほて》った頬を冷たい風に吹かした。後れ毛が頸筋に戦いていた。
 松井はふり返って女の姿をみた。
「一ゲーム御願いしましょうか。」と彼女は顧みて微笑んだ。
「ああ、」と松井はうっかり答えてしまった。球なんか別に突きたくはなかったのだが。
 それでも彼は大変当りがよかった。何だか気が軽々していたのである。
 丁度一ゲーム終ろうとする頃表の戸が開いた。林が笑顔をして立っているのが見られた。
おたか[#「たか」に傍点]は突棒《キュー》を捨てて立って行った。そして彼の手から帽子を取って釘に掛けた。
「お茶をお一つ。」と彼女は奥の方に呼ばわった。が何の返事もなかったので、彼女はも一度「お茶をお一つですよ。」と大きい声を出した。
「ああいますぐ。」と寝惚けた上さんの声が聞えた。
 林はずっとはいって来て不思議そうに煖炉の前に立ち留った。
「もう煖炉を焚くんですか。」と彼は云った。
「ええ今ね、」と云っておたか[#「たか」に傍点]は松井を見て卑しい笑顔を作った。「松井さんがずぶ濡れになっていらしたものですから、特別に焚いたんですよ。」
「もうそろそろ本当に焚きはじめてもいい時ですね。僕は火を見るのが大好きです。」
「ほんとに
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